タイムカプセル 戦後編 (2) 昭和21年 (1946年)    タイム・カプセル

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この年、「証誠寺の狸ばやし」のメロディにあわせ「カムカム・エブリボディ」の陽気なイントロのラジオ番組
「平川唯一先生の英会話教室」が放送開始。

語学熱の高まりとともに視聴率も急上昇、「カムカム英語」と呼ばれ爆発的人気を集めた。(2月)

(映画)第19回アカデミー賞「我等の生涯最良の年」(主演 フレデリック・マーチ)
カサブランカ」(ハンフリー・ボガートイングリッド・バーグマン)

東宝「わが青春に悔なし」(原節子藤田進杉村春子) 東宝「東京五人男」(古川緑波、横山エンタツ、花菱アチャコ、高勢実乗)松竹「はたちの青春」(大坂志郎、幾野道子) 松竹「大曽根家の朝」(杉村春子、小沢栄太郎)松竹「待ちぼうけの女」(高峰三枝子)大映「七つの顔」(片岡千恵蔵轟夕起子

(音楽)「東京の花売娘」岡晴夫「悲しき竹笛」近江俊郎/奈良光枝 「
La Vie En Rose」Edith Piaf

(ラジオ)NHK「のど自慢素人音楽会」(宮田輝)/NHK「英会話教室」(平川唯一)/NHK「尋ね人」/NHK「話の泉」(和田信賢)



                  




(スポーツ)セネターズ(後の東急)の大下弘が青バットで本塁打王を獲得。赤バットの川上哲治と人気を二分。

(流行語)「あっそう」「公僕」「赤バット・青バット」「ニューフェース」(東宝) 「オフ・リミット」(米軍以外立入禁止)「ご名答」(話の泉)「カストリ」「バクダン」「赤線」「青線」「ララ物資」LARA(アジア救援公認団体)が提供していた日本向け援助物資。アプレゲール(戦後の若者世代を指す言葉。略してアプレ)

(社会)天皇人間宣言(1.1)GHQ、政府に公娼廃止を指令(1.24)預貯金封鎖、新円切り替えなどの金融緊急措置令が施行される(2.17)日本銀行が新円(百円札、十円札)を発行 (2.25)東京裁判開廷(5.3)食糧メーデーで25万人皇居へ米寄こせデモ(5.12) 第1次吉田茂内閣 (5.22) アメリカがビキニ環礁で公開核実験(7.1)日本国憲法公布(11.3) 東海道沖でマグニチュード8の「南海地震」が発生、死者 998人。家屋の全壊11,591戸・半壊23,487戸(12.21)

(物価)封書30銭(75円)、はがき15銭(38円)

(その他)松竹「はたちの青春」日本初のキスシーンで話題に。上野に「アメ横」誕生(外地引揚者マーケット)「発疹チフス流行」「食糧緊急措置令」「天皇の国内巡幸」長谷川町子「サザエさん」連載開始(夕刊フクニチ) 「カムカム英語」「ズルチン・サッカリン」「ヒロポン」「ラビットスクーター」(富士産業、現富士重工業)

加藤和枝(美空ひばり) 9歳で初舞台(磯子アテネ劇場) ピース(10本入 7円)発売。(大蔵省専売局)東宝がニューフェースを公募(6月)第一期には、三船敏郎、久我美子、若山セツ子がいた。



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                  La Vie En Rose(Bing Crosby)              
                                                                                             
                                                                                               







NHK「尋ね人」


戦争の混乱の中で連絡不能になった人物の特徴を記した手紙の内容をアナウンサーが朗読し、消息を知る人や、本人からの

連絡を番組内で待つ内容だった。具体的には、次のような読み上げが行われた。


昭和20年春、○○部隊に所属の××さんの消息をご存じの方は、日本放送協会の「尋ね人」の係へご連絡下さい。

シベリア抑留中に○○収容所で一緒だった○山○夫と名乗った方をご存じの方は、日本放送協会の「尋ね人」の係へご連絡下さい。


放送中に読み上げられた依頼の総数は19,515件であり、その約1/3にあたる6,797件が尋ね人を探し出せたとされる。












東京裁判


1946年5月3日、東京・市ヶ谷で、戦争を遂行した日本の指導者を裁く極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷。

侵略戦争を行った罪や、非人道的行為を行った罪が審理の対象とされ、戦争を指導したA級戦犯25名が有罪となり、東条英機ら7名が絞首刑となった。

東京裁判では、天皇の戦争責任が不問にされ、原爆投下など戦勝国の残虐行為が一切棚上げされるなど、さまざまな欠陥と限界があった。


だが最大の問題点は、裁判の早期打ち切りが行われたことである。

1948年(昭和23年)12月23日、死刑判決を受けた7名の処刑が行われると、翌24日、岸信介、児玉誉士夫らA級戦犯容疑者17名を、

裁判にかけないまま全員不起訴・釈放した。




岸は講和条約発効後、政界に復帰、1957年(昭和32年)から三期にわたって首相となり、保守政界のトップに返り咲いた。

児玉はロッキード事件で失脚するまで、政財界に隠然たる勢力をもつ黒幕となった。


こうして東京裁判の途中打ち切りは、戦後日本の指導層の間に、侵略戦争の責任者を残存させ、その強固な帝国意識が、

世襲によって受け継がれるという結果を招いたのである。









                  東京の花売り娘(作詞:佐々詩生、作曲:上原げんと、唄:岡晴夫)




終戦直後は、戦災孤児とみられる靴磨きや花売りの子供たちが駅前や街頭に大勢いた。


当時の人々は、そうした子供たちを見かけたら、気持ちよく近寄って彼らに靴を磨かせ、

なけなしの小銭を払って、花を買った。

それによって、彼らの収入がほんの少しでも増えるなら、そう考えていたのである。


「ぜひとも唇に歌を…」苦しい日々が続いているが、明るく前を向いて頑張って行こう。

岡晴夫の「東京の花売り娘」は、そうした懸命に生きる人々に向けた励ましの賛歌である。













第一次吉田茂内閣成立(5.22)


吉田はその風貌、毒舌で、戦後個性派政治家の最右翼と目された。

彼はその後、七年間に渡り内閣総理大臣を努めることになる。

戦後の混乱期であり、GHQとのやりとりの矢面に立たなければならない時期だった。

彼は、癇癪持ちで頑固者だったが、同時に洒脱でユーモアを解する人物だったため、

GHQのトップであったマッカーサーとは、仕事を離れた友情を結んだと言われている。



国会の質問者に「バカヤロー」と発言したことで衆議院を解散(昭和28年)させたり、

ゴシップで騒がれることも多かった吉田茂。

そんな彼だが、人を見る目があり、吉田学校と呼ばれるほど人を育てる力があった。


彼の門下生には、後に総理総裁となる佐藤栄作や池田勇人、田中角栄らがいた。

吉田は、戦後保守政権の中核を担う人材育成にも、大いに力を発揮したのである。














パーマ、化粧品復活


終戦翌年という混乱の中で、早くもマニキュア、口紅、クリームなどが
大都市の店頭に並ぶようになった。

コーセー、ジュジュなどの新興メーカーも誕生、資生堂などの戦前からの
メーカーも活動を開始した。


1946年11月、女優の原節子がモデルとなった戦後初の化粧品ポスター(資生堂)が、
東京・銀座に掲げられた。

真っ白なブラウスに顔を上げて微笑む彼女のポスターは、ようやく戦争が終わり、
お化粧やおしゃれができる新しい時代になったことを告げている。

パーマ(コールドパーマ)も復活し、髪は表三つ編み、内巻きなどが流行した。














新円切り替え(デノミネーション)


金融緊急措置令が施行(2.17)され、預貯金はすべて封鎖、十円以上の紙幣が廃止(3.3)された。


3月7日より新紙幣の使用が始まった。一円紙幣や五円紙幣に人気が集まったが、新紙幣の印刷が

間に合わず、旧紙幣に証書を貼って使用していた。


新十円札は「菊のご紋章」が、鎖につながれているとか、MP(米軍憲兵)に監視されている

デザインとか、さんざん言われてしまった。






終戦後の日本は、物資不足など様々な要因が重なり、猛烈なインフレが起こっていた。

「新円切り替え」は、このインフレを打開するためのひとつの政策であった。



この政策では、新円切り替えと併せて「預金封鎖」が実施された。

その後、十万円以上の資産を持つ世帯に「財産税」として、25〜90%の税金が課されたのだ。


資産額に応じて税率が決められたため、資産の多い人ほど高い税金を支払ったことになる。



預金封鎖は、終戦後の日本に実際に起きた、事実上の国による財産没収だった。

預金封鎖によって流通するお金の量が減り、インフレは収束していった。

さらに、財産税の税収により、国の債務も減少した。



インフレが抑制され、財政も改善されたとはいえ、それは多くの国民の犠牲によるものだった。

戦時中、国民は「戦時国債」を無理やり買わされた。

しかし終戦後、インフレが起き、それらの国債は紙くず同然となってしまった。



さらに「新円切替」「預金封鎖」「財産税」という、三点セットによる国民財産の没収が実施された。

このような悲劇が二度と繰り返されないことを願うばかりである。














大曾根家の朝  (松竹映画)


大曾根家は裕福な家庭だったが、長女の婚約者が出征、長男は思想犯として検挙されてしまう。

さらに画家を目指していた次男が召集を受けるなど、戦争に翻弄されていた。


空襲で焼け出された叔父夫婦が移り住んでくると、軍人である叔父は我が物顔で暮らし始める。

次男の戦死の報がもたらされて間もなく、今度は三男が叔父の勧めで、海軍に志願していった。

叔父はその上、自分の地位のために、長女の縁談まで勝手に進めようとしていた。

やがて叔父は終戦の知らせを誰よりも早く入手、大量の軍需物資を家に運び込み始める。

たまりかねた母の房子は叔父の態度を責め、叔父夫婦に家からの立ち退きを要求するのだった。




戦前は、軍人を批判的に描く事はタブーであった。

彼らは、戦地にあっては、常に勇敢で忠誠心が高く、現地の民衆に対しては
温情と思い遣りを示す人間として描かれたのである。

戦後に、民主主義となり、このタブーが解かれると、真っ先に本作が公開された。


木下恵介は戦時中、反戦的な映画監督として、軍部に睨まれ、松竹の退職を
余儀なくされ、長らく不遇を囲っていた。

本作は、戦後ようやく復職した木下の第一作となったが、彼が描いたのは
徹底的に卑怯で愚劣な陸軍軍人の姿であった。


小沢栄太郎の演じたこの軍人は、人格劣等な権威主義者であり、戦争中に
親戚の主人公一家に対して、さんざん威張り散らして嫌な思いをさせる。

だが、敗戦になると部下を動員して軍の物資を横領したりするのである。


何の疑いもなく戦争に邁進し、敗戦になると自己保身に汲々とする。

木下の凄まじい怒りを感じる人物設定であり、戦前軍部に心無い検閲を受けた
無念の想いを晴らすかのような、まさに「木下カタキウチ映画」である。









      カサブランカ(CASABLANCA)1942年(米)

第二次大戦中のフランス領モロッコ・カサブランカ。
そこには、アメリカに亡命しようとする人々で溢れかえっていた。

ある夜、酒場を経営するアメリカ人リック(ボガート)の店に、
かつて恋人だったイルザ(バーグマン)とその夫がやってくる。

主演の二人以外は、ユダヤ系の俳優が演じた反ナチスドイツ映画。主演の二人は、映画の真の意味を
知らずに演じていた。反ナチスと悟られて、二人の口から、その筋に情報がもれては困るからだった。

(監督)マイケル・カーティス(MICHAEL CURTIZ)
(出演)ハンフリー・ボガート(HUMPHREY BOGART)イングリッド・バーグマン(INGRID BERGMAN)