2月26日 タイムカプセル 戦後編 (1) 昭和20年 (1945年)    タイム・カプセル    昭和21年へ

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この年、松竹少女歌劇出身の並木路子さんが、映画「そよかぜ」の挿入歌として歌った「リンゴの唄」が爆発的なヒットとなった。

その明るい歌声は、敗戦直後で打ちひしがれた日本社会に大きな希望を与えた。

(映画)第18回アカデミー賞「失われた週末」(主演 レイ・ミラント)

 松竹「そよかぜ」(並木路子佐野周二上原謙) 東宝「続 姿三四郎」(大河内伝次郎藤田進轟夕起子月形龍之介)大映「狐の呉れた赤ん坊」(阪東妻三郎橘公子原健作

(音楽)
リンゴの唄並木路子祖国の花(轟夕起子、奈良光枝、渡辺一恵)あゝ紅の血は燃ゆる(酒井弘、安西愛子)米英撃滅の歌(伊藤久男、波平暁男)乙女の旅唄(轟夕起子高峰三枝子月丘夢路)勝利の日まで(波平暁男、近江俊郎、奈良光枝)一億総進撃の歌(伊藤武雄、佐々木成子)かくて神風は吹く(高倉敏、近江俊郎)

(ラジオ)並木路子の「リンゴの唄」初放送(12.10)NHK「紅白音楽試合」(司会 水の江滝子、古川緑波)出演は、並木路子、高峰秀子、藤原義江、霧島昇、ディック・ミネら。(12.31)



                 



(スポーツ)大相撲(秋場所)が復活(11.6)プロ野球が東西対抗戦で復活(11.23)東軍は読売、名古屋、セネタース、西軍は大阪タイガース、大阪阪急、近鉄朝日の連合軍だった。

(流行語)一億総懺悔、銀シャリ、パンパンガール、ピカドン、DDT、MP(進駐軍の憲兵)GI(アメリカ兵)マッカーサーの命により

(社会)東京大空襲(3.10) 戦艦大和撃沈(4.7)米軍、原爆を投下(8.6) 日本無条件降伏(8.15) 新宿の焼け跡に闇市が出現(8.20)日本政府、GI(アメリカ兵)の性的欲望を満足させるため、特殊慰安施設協会(RAA)を設立、東京に3カ月間で、25カ所の施設を設置し、慰安婦は1600人に及んだ(8.26)

シラミが媒介する発疹チフス予防のためGHQがDDTの散布を実施。立川基地上空で初の空中散布実施(9.10)国際連合が成立(10.24) 戦後初の宝くじ、1等は賞金10万円と純綿キャラコ2反、空くじ4枚と引き換えにタバコ「金鵄」が10本もらえた(10.29) ア

メリカ軍が東京拘置所を接収し、巣鴨プリズンと命名、日本人戦犯容疑者が収容された(11.1)「紅白歌合戦」というタイトルがGHQから「好戦的」という理由で却下され「紅白音楽試合」に変更して放送(12.31)

(物価)ふかし芋、ライスカレー、おでん、だんご、すいとん、しるこ、シチューなどが、やみ市で5〜10円(500円から1000円)で売られた。サラリーマン給与 200円(20000円)。理髪料 3円50銭(350円)。

(その他)日米会話手帳(誠文堂新光社)輪タク、竹の子生活、洋モク、カストリ、玉音放送、米軍のジープが人気を呼び、ブリキのジープ玩具が大ヒット。メチルアルコールによる死亡者が続出。敗戦に伴う失業者、推定477万人(厚生省調べ)。 




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       リンゴの唄








闇市 (やみいち)


日本が無条件降伏した1945年8月15日から5日目の20日、東京新宿の焼け跡によしず張りのマーケットが登場した。


「東京闇市興亡史」(猪野健治 1978年)はこう記録している。


並べた品物は日用雑貨で、ご飯茶碗1円20銭(120円)、素焼き七輪4円30銭(430円)、下駄2円80銭(280円)、
フライ鍋15円、醤油樽9円、手桶9円50銭、ベークライト製の食器・皿・汁碗三つ組8円だった。


このあと、全国の盛り場という盛り場は、乾燥した草原に火をつけたように次々と闇市化していくことになる。






8月の末からは、占領軍の進駐がはじまり、隣組の緊急回覧板は「占領軍を迎えるにあたっての心得」を通知して不祥事発生の防止につとめている。

(1)娘心に意味もなく笑ったり愛嬌笑いはしないこと。

(2)女の一人歩きや夜の外出はしないこと…等々。


はじめは恐る恐る迎えた占領軍に、やがて子供が近づいていった。きっかけは、GI(アメリカ兵)が差し出すチョコレートやチューインガムだった。


そして10月、松竹映画「そよかぜ」が封切られ、主演の並木路子が歌ったサトウハチロー作詞・万城目正作曲の「リンゴの唄」が大ヒット。


並木路子は、この歌一本でたちまちスターとなり「リンゴの唄」は虚無と虚脱の街を流れまくった。

戦後の日本、それは闇市とGIと「リンゴの唄」でスタートした。


(闇物資を没収する警察官と進駐軍の憲兵MP)












配給制度


戦後間もなくは食糧難が厳しく、食べ物をかき集める為にほとんどの国民が日々を過ごしていた。

電気も不足し停電はしょっちゅうあり、ガスもまた然りであった。日本の米びつは底をついていた。


主食の配給は、成人一人に対し、日に二合一勺(297g)、茶碗一杯程度で、しかも米はなかなか

配給されず、芋や小麦粉、大豆、果ては芋のツルまで配給される始末。

さらに「欠配・遅配」が常態であり、ひもじさはつのるばかりだった。






11月中旬までの三か月間で、神戸、京都、大阪、名古屋、横浜の五大都市で合計733人もの餓死者が出た。

また闇の食料を買わず、配給だけで生活していた東京高校(大田区)の教師・亀尾永四郎が栄養失調で

死亡した事件(10/11)も象徴的だった。













公設パンパン宿


日本政府は、GI(駐留米兵)の性的欲望を満足させるため、

いち早く特殊慰安施設(RAA)を設立した。(8.26)


大森(大田区)の「小町園」(英名はすばり Sex House)を皮切りに、

松坂屋地下の「Oasys of Ginza (ダンスホール)」

向島(墨田区)の「Geisha House(芸者クラブ)」をはじめ、

25か所の施設を設置した。





公募された慰安婦は、1600人に及んだが、性病の巣窟となり、翌年3月にすべて閉館となった。

以後、街に立つ私娼(パンパン)だけが、GIの慰み者となった。


また、彼女たちパンパンのバイブルとなったのが「日米会話手帳」(誠文堂)


わずか30頁足らずのポケット版(30銭)だが、必要最低限の英会話が

収録されているとかで、9月の発売3か月のうちに350万部を売りつくした。














GHQ占領政策


1945年9月27日、天皇がGHQ最高司令官・マッカーサーを訪問し、二人並んだ写真が各新聞に掲載された。

天皇は自発的に訪問したとされるが、実際は写真を撮影し、公表するために、わざわざ呼びつけたのである。


写真掲載の意図は、天皇に対するGHQの地位を国民に示威することにあった。正装した天皇の横で、略装で
くつろいだ表情のマッカーサー。天皇に替わる新しい統治者を、国民に印象づけるには十分すぎる演出であった。


天皇を利用することが、占領政策の成否を左右すると考えたGHQは、天皇を戦犯として処刑する代わりに、
国民から絶大な尊敬を受ける天皇が、GHQ当局と対等な関係を築いているという状況を作り出す方策をとった。



この結果、GHQが最も危惧した軍部残党による占領軍への武力闘争という懸念は完全に払拭された。

同時に、天皇の戦争責任を追及しようとするソ連、中国などの連合国から天皇を庇護することにつながった。


占領政策では、徹底した言論統制が行われた。新聞、雑誌、ラジオ、映画は、全てGHQの管理下におかれ、
国民に知らせる情報に厳しい制限をつけた。GHQが教えたいことのみが日本人に教えられた。


昭和20年12月31日、修身や日本歴史、地理に関する授業が停止された。皇国史観(天皇中心の歴史)による教育を
廃止するためであった。小学校の国語の教科書は、軍国主義的な内容を墨で塗りつぶして使われた。


「兵隊さん・日の丸・君が代・愛国心・武士道・伊勢神宮・軍艦・大和魂・靖国神社」 などの単語が塗りつぶされ、
塗りつぶし箇所はGHQから命令された。剣道、柔道、弓道等も軍国主義のスポーツだとして禁止された。


こうした進駐軍の命令は、一種のマジックのような権威があり、絶対服従しなければならないものだった。

そのため、これに便乗して、人に何かを命令する際には「マッカーサーの命により」という言葉が流行した。









     



「暁に祈る」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而、唄:伊藤久男)

松竹映画「暁に祈る」の主題歌として、1940年に発表された戦時歌謡曲。


この曲の歌詞やメロディを紐解くと、実は「反戦の歌」であることがわかる。


本心では家族と別れ、戦争に行きたくはなかった兵士達の望郷の念にかられる

痛切な思いが見事に描かれており、それが大衆に受け、大ヒットを記録した。











   昭和20年代世相年表 (1945−1954年)
     
政治・経済・国際 社会・暮らし
米英ソ、ヤルタ会談(2.4) アメリカ軍が東京を空襲(東京大空襲)し、
1945年 東京大空襲(3.10) 約10万人の命が失われた(3.10)
硫黄島守備隊全滅(3.26)
(昭和20年) アメリカ軍、沖縄に上陸(4.1) 天皇が戦争終結の詔書を放送(玉音放送)(8.15)
戦艦大和が沖縄へ向かう途中で撃沈された(4.7) 新宿の焼け跡に闇市が出現(8.20)9月には闇市が氾濫。
トルーマン、大統領就任(4.12)
ヒトラー自殺(4.30) 占領軍向け慰安施設「小町園」が大森海岸に開業(8.27)
ドイツが無条件降伏(5.7) シラミが媒介する発疹チフス予防のためGHQがDDTの散布を実施(9.10)
米英中がポツダム宣言発表(7.26)
広島に原爆が投下される(8.6) 「婦人は進駐軍に笑顔を見せるな」という隣組回覧板が出される(9月)
ソ連、対日宣戦布告(8.8) 「日米会話手帳」発売(9.15)
長崎に原爆が投下される(8.9)
ポツダム宣言受諾(8.14) 「スミぬり教科書」の作成が始まる(9.20)
天皇「終戦の詔書」を放送(8.15) 文部省が中学校以下の教科書から戦時教材を省略・削除するよう通達。
満州国皇帝溥儀が退位し、満州国が消滅(8.18)
マッカーサー元帥、厚木到着(8.30)GHQによる日本占領が始まる 松竹映画「そよかぜ」封切(10.11)
降伏文書(休戦協定)に調印(9.2)東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で 並木路子の歌う主題歌「リンゴの唄」が流行(10月)
降伏文書に調印し、第二次世界大戦は終結した。
ソ連軍が日本の北方領土を占領した(9.5) 日本勧業銀行(現みずほ銀行)による宝くじの発売(10月)
朝鮮人民共和国成立(9.6)
天皇がマッカーサー元師を訪問(9.27) 日本火薬王子工場がズルチンを完成(11月)砂糖の代用で大人気となる。
GHQ(連合国総司令部)が日比谷の第一生命相互ビルで執務開始(10.2)
国際連合発足(10.24) 「平凡」刊行。凡人社(現マガジンハウス)(11月)
日本社会党結成(11.2) 「近代映画」刊行。近代映画社(12月)
日本自由党結成(11.9)
日本進歩党結成(11.16) GHQが修身・日本史・地理の授業中止を命令(12.31)
GHQがA級戦犯容疑者59人に逮捕指令(12.2)
労働組合法公布(12.22) 紅白歌合戦の前身「紅白音楽試合」放送(12.31)
1946年 昭和天皇が「人間宣言」(1.1) ピース(10本入 7円)発売(大蔵省専売局)(1月)
GHQが公職追放を指令(1.4) 初のスポーツ日刊紙「日刊スポーツ」発刊(3月)
(昭和21年) 労働組合法が施行された(3.1)
チャーチル前英国首相が「鉄のカーテン」演説(3.5) 「サザエさん」の連載開始(夕刊フクニチ)(4月)
アメリカ・フルトン市のウエストミンスター大学でソ連を批判。 加藤一枝(美空ひばり) 9歳で初舞台(磯子アテネ劇場)(4月)
初の婦人参政権を認めた戦後初の総選挙(第22回総選挙)実施(4.10)
東京裁判が始まる(5.3) メーデー、11年ぶりに復活−第17回メーデー開催(5.1)
第1次吉田茂内閣成立(5.22) 松竹映画「はたちの青春」日本初のキスシーンで話題に(5月)
米ビキニ環礁で原爆実験が行われた(7.1)
日本労働組合総同盟(総同盟)発足(8.1) 上野に「アメ横」誕生(10月)
経済団体連合会(経団連)創立(8.16) 「カムカム英語」放送開始(NHKラジオ)(12月)
農地改革(10.21)
日本国憲法公布(11.3) 東海道沖でマグニチュード8の「南海地震」が発生、死者 998人。
第一次インドシナ戦争(12.29)(ベトナムVS フランス) 家屋の全壊11,591戸・半壊23,487戸(12.21)
1947年 国際通貨基金(IMF)業務開始(3.1) 新宿の帝都座でストリップの元祖、額縁ショー始まる(1.15)
労働基準法公布(4.7)
(昭和22年) 独占禁止法公布(4.14) 小学校でララ(アジア救済連盟)物資による副食のみの給食開始。
日本国憲法が施行される(5.3) 主食は各自持参だが、手ぶらの児童が多数(1.20)
片山哲内閣成立(5.24) 新学制の6・3制実施(4.1)
アメリカで国防総省と中央情報局(CIA)発足(9.18)
内務省廃止(12.31) 古橋選手が国内水泳大会の400m自由形で世界記録を樹立(8.9)
東京地裁の判事がヤミを拒否し配給食糧だけで生活し餓死(10.11)
1948年 マハトマ・ガンディー、暗殺される(1.30) 太宰治が玉川上水で入水自殺した(6月)
民主自由党結成(3.15)
(昭和23年) 国連世界保健機関(WHO)発足(4.7) 風俗営業取締法が公布された(7月)
第一次中東戦争(パレスチナ戦争)(5.15)アラブ連盟がパレスチナ侵攻
教育勅語が廃止される(6.19) 国民の祝日に関する法律が公布され、元旦、成人の日、春分の日、
ソ連、ベルリン封鎖(6.24) 天皇誕生日、憲法記念日、子供の日、秋分の日、文化の日、
戦後初のオリンピックがロンドンで開催(7.29〜8.14)日本は参加できず 勤労感謝の日が国民の新しい祝日となる(7.20)
大韓民国、米から独立(8.15)
朝鮮民主主義人民共和国、ソ連から独立(9.9) 横浜で初のプロ野球ナイター「巨人・中日戦」開催(8.17)
極東国際軍事裁判(東京裁判)で判決。被告の25人全員が有罪。
うち、東条秀機、広田弘毅など7人が絞首刑の判決(11.12) 警視庁に犯罪専用電話「110番」が誕生(10.1)
1949年 北大西洋条約機構(NATO)発足(4.4) クイズ番組「私は誰でしょう」放送開始(1.2)
ドッジ・ライン(財政引き締め)発表(4.15) 東京の盛り場に靴磨き少年や花売り娘が激増(3月)
(昭和24年) 東京消防庁が火災報知専用電話「119番」を設置(3月)
1ドル360円の単一為替レート実施(4.25) 「下山事件」国鉄の下山総裁が足立区の常磐線の線路上で
中華人民共和国成立(10.1)(中華民国は台北遷都) れき死体で発見(7.6)
ドイツ民主共和国成立(10.7) 「三鷹事件」中央線三鷹駅車庫内で無人電車が突然暴走、
湯川秀樹がノーベル物理学賞(11.3)日本人として初めての受賞 付近の民家に突入(7.15)
「松川事件」青森発上野行の旅客列車が脱線転覆(8.17)
朝鮮戦争勃発(6.25)(韓国と北朝鮮の対立) 桃屋が「江戸むらさき」を発売(4月)
1950年 日本労働組合総評議会(総評)結成(7.12) 寿屋(後のサントリー)が「サントリーオールド」を発売(4月)
レッドパージ起こる(7.24) ミス日本コンテスト開催。山本富士子が、第1回ミス日本に選ばれた(4月)
(昭和25年) 警察予備隊がつくられる(8.10) 警視庁がパトカーを導入(6月)
中国人民義勇軍、朝鮮に出動(10.19) 金閣寺が放火により焼失した(7月)
後楽園球場にナイター設備が完成し、ナイター時代へ突入(7月)
1951年 マッカーサーがGHQ最高司令官を解任された(4.11) 第1回NHK紅白歌合戦が放送された(1月)
朝鮮戦争休戦協定(7.2) 日本初の総合感冒薬「ルル」を三共が発売(2月)
(昭和26年) 日本航空設立(7.31) 黒澤明「羅生門」ベネチア国際映画祭グランプリ受賞(9.10)
サンフランシスコ講和条約調印(9.4)(連合国、日本と講和条約) プロレスの力道山がデビュー(10月)大相撲の関脇からのプロレス転向
日米安全保障条約調印(9.8) 「アイ・ラブ・ルーシー」のアメリカでのテレビ放映開始(10月)
「バヤリース」の発売朝日麦酒から発売された日本初の果汁飲料(11月)
1952年 改進党結成(2.8) NHK放送が始まる(2.1)
スターリン死去(3.5) 連続時代劇「新諸国物語」放送開始(4.1)
(昭和27年) 日本とアメリカとの間の安全保障条約が発効した(4.28) 「笛吹童子」「紅孔雀」などが人気を集める。
血のメーデー事件(5.1)皇居外苑でデモ隊と警察の衝突した騒乱事件で、
戦後初の学生運動死亡者が発生した 日本航空「もく星号」が伊豆大島の三原山に墜落。
破壊活動防止法施行(7.21) 乗員・乗客37人全員死亡(4.9)
IMF加盟(8.13) 連続放送劇「君の名は」放送開始(4.10)
イギリスが初の原爆実験を実施し、第3の核保有国となった(10.3) 毎週木曜日の放送時間になると女湯が空になるといわれるほどの人気。
保安隊発足(10.15) 硬貨式の公衆電話が設置される(4月)
第4次吉田茂内閣成立(10.30) 永谷園「お茶漬け海苔」発売。インスタント食品の先駆け(5月)
1953年 吉田内閣不信任案可決(3.14)衆議院解散(バカヤロー解散) 日本初のテレビ本放送(2月)
鳩山自由党結成(3.18) 「オロナイン軟膏」発売(大塚製薬)(4月)
(昭和28年) 第5次吉田内閣成立(5.21) 奄美群島が日本に返還された(12月)
フルシチョフ、ソ連共産党第一書記に就任(9.13)
1954年 ビキニ環礁のアメリカの水爆実験で第五福竜丸被爆(3.1) ジョー・ディマジオ、マリリン・モンロー夫妻が来日した(2月)
ソ連国家保安委員会(KGB)発足(3.13) 初の集団就職列車の運行青森−上野間で運行された(4月)
(昭和29年) 防衛庁がつくられ、陸・海・空の自衛隊ができる(6.9) 日本初の缶入りジュース「明治オレンジジュース」(明治製菓)(4月)
ジュネーブ休戦協定成立(7.21)(インドシナ戦争の休戦を協議) 黒澤明「七人の侍」公開(4月)
日本民主党結成(11.24) 洞爺丸事故(9.26)日本海難史上最大の青函連絡船の沈没事故
吉田茂内閣総辞職(12.7) 中日が球団創設19年目にして初のセ・リーグ優勝を遂げた(10月)
第1次鳩山一郎内閣成立(12.10) この後、20年間優勝から遠ざかることになる
怪獣映画の金字塔「ゴジラ」が公開された(11月)