4月18日     ピアノ名曲選  
直線上に配置                

88の鍵盤に無限の可能性を秘めたピアノ。
1700年頃に、イタリア・メデイチ家の楽器係だったクリストフォリ(Cristofori)によって発明されて以来、大作曲家たちの身近に置かれ、ピアノ曲はもちろん、交響曲やオペラに至るまで、数多くの名曲の誕生を支えてきた。

あるいは、オーストリア・ハプスブルク家の宮殿の広間に置かれ、神童ぶりをお披露目した6歳のモーツァルトが少女マリー・アントワネットに求婚したという愛らしいエピソードの誕生に一役買ったこともあれば、マジョルカ島の寂しい修道院の中で、ショパンとともに雨だれの音に耳を傾けていたこともある。

まばゆい光を浴びたステージの上に置かれたグランド・ピアノは、恐るべきテクニックと際立つ個性を持つ幾人もの名ピアニストたちが、歴史に残る名演奏を繰り広げるのに立ち会ってきたのである。


1. フレデリック・ショパン「ノクターン」(Nocturne) 第2番 変ホ長調
繊細な演奏で、パリの女性たちの心を虜にした19世紀最高のピアニストの一人、ショパン。
そのピアノ曲は、他のどの作曲家にも増して、詩的なピアニズムにあふれている。
「ノクターン(夜想曲)」というジャンルも、元々は他の作曲家に由来するが、そこに類まれなイマジネーションを加え、魅惑的なジャンルとして完成させたのがショパンであった。


           


2.フレデリック・ショパン「ポロネーズ」(Heroique) 第6番 変イ長調
ポロネーズは、ポーランドの宮廷で発展した3拍子の民族舞曲で、2拍目にアクセントがあるのが特徴。
同じく民族舞曲に基づくショパンの「マズルカ」が、望郷の念を感じさせる小品であるのに対し、「ポロネーズ」は次第に規模も拡大され、祖国への誇りが高度なピアニズムを通じて表現されている。


3.フレデリック・ショパン 12の練習曲 作品10「革命のエチュード」(Etude Op.10,No.12) ハ短調
ショパンが演奏旅行でポーランドを離れていた際、故郷のワルシャワが陥落したとの報を受け、祖国の悲劇を悲しみながら作った曲といわれる。
この時の気持ちが強く表れたのか、ショパンの曲としては珍しく力強い激しい曲調となっている。
なお「革命」というタイトルはフランツ・リストが命名したもの。


4.フレデリック・ショパン「ノクターン」(Nocturne)第20番 嬰ハ短調 (遺作)
副題の「遺作」は、ショパンの死後、楽譜が発見されたことによる。
このノクターン第20番は、ショパンの姉ルドヴィカに捧げられたものであり、 彼女が、ショパンの「ピアノ協奏曲第2番」を練習するために書かれた曲とも言われている。。
ショパンのノクターンの中では「第2番 変ホ長調」と並んで有名であり、その切ない哀しげな旋律は聴く者を魅了してやまない


5.フランツ・リスト 「愛の夢」 (Liebestraume) 第3番 変イ長調
ハンガリー生まれのフランツ・リストは、ショパンと同じく、19世紀を代表するヴィルトゥオーソ(Virtuoso 巨匠)・ピアニストである。
両者ともピアノ音楽に対して革新をもたらしたが、演奏スタイルは対照的で、ショパンが繊細さを求めたのに対し、リストは大胆な華やかさを好んだ。
愛の夢」にも、そうしたリストの世界が映しだされている。

            
6.フランツ・リスト「ラ・カンパネラ」(La Camanella)第3番 嬰ト短調
このピアノ曲は、リストがパガニーニによるヴァイオリン協奏曲第2番の終楽章に基づいて作曲したもの。
リストは、20歳の時にパガニーニの超絶的な演奏を聴いて興奮し、「私はピアノのパガニーニになるのだ」と語ったという逸話が伝えられている。
カンパネラ(鐘)」では曲名どおり、鐘の音が響き合う。


7.ベートーヴェン 「月光」(Moonlight) 嬰ハ短調
「月光」という名称で知られるピアノ・ソナタ第14番に、ベートーヴェン自身は「幻想的ソナタ」という表題を与えている。
第1楽章が通常のソナタ形式ではなく、アダージョ・ソステヌートによる自由な幻想曲風の3部形式で書かれている点が特徴的。
「月光」は後世のネーミングだが、3連符のアルぺッジョが醸しだす夢幻の雰囲気や淡々とした清澄な旋律が、まさに月の光の照らすロマンティックな光景を思い浮かばせる。
この曲はピアノの教え子で、ベートーヴェンが結婚まで意識した14歳年下の伯爵令嬢ジュリエツタ・グイチヤルディに献呈された。


8.ベートーヴェン 「エリーゼのために」(Fur Elise)
ピアノの学習者に親しい「エリーゼのために」。
しかし、今や失われた自筆譜にもともと記されていたのは「テレーゼのために」だったようで、ベートーヴェンの悪筆故に、後世の人が読み間違えたと推測されている。
この曲の自筆譜を所有していた、主治医の令嬢テレーゼ・マルファッティに、ベートーヴェンはプロポーズしたものの、あえなく断られたという。


9.モーツァルト 「トルコ行進曲」(Ronde alla Turca)
トルコ行進曲」の愛称で親しまれているこの曲は、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番の第3楽章。
譜面にも「アラ・トゥルカ(トルコ風に)」と記されている。
作曲されたと推定される1783年は、オスマン・トルコ軍のウィーン侵攻をオーストリア軍が撃破してから100周年に当り、当時トルコ風の音楽が人気を博していたと言われている。
流行の中で自身の才能を披露するモーツァルトの面目躍如。


10.チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」 第1楽章 変ロ短調
ソロ・ピアノがシャンデリアさながらの絢欄たる和音を打ち鳴らして登場し、聴衆を一気に惹きつける。
今日では人気のピアノ協奏曲としての不動の地位を確立しているが、作曲当時は友人の大ピアニスト、ニコライ・ルビンシティンに酷評され、演奏も拒否されてしまう。
結局、初演はアメリカで行われ、独奏は名指揮者として名を残したハンス・フォン・ビューローが担当した。
初演は大成功を収め、ニコライもやがては評価を翻して、作品の普及に重要な役割を果たしたという。


11.ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」(Piano Concerto No.2)ハ短調 第1楽章
ラフマニノフは、最初の交響曲を酷評され、すっかり自信を喪失したが、精神科医ダール博士の「協奏曲を書けば傑作になる」という暗示で、この曲を書き、大成功を収めた。
第1楽章は、なにかを予感させるような、ゆっくり重々しい冒頭の和音の後、緩やかに高揚して緊迫にみちびく管と弦の悲愴なまでの旋律が繰り返される。
ロシアの批評家は、これをロシア革命前夜のパトスから生まれた「高ぶった激情」と表現した。