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  ことわざ一覧

     A  B  C  D E  F  G  H  I  J  K  L  M  N  O  P Q  R  S  T  U  V  W X  Y  Z

撒手的气球 → 无牵无挂 sā shǒu de qì qiú → wú qiān wú guà 手から離れた風船 → 何の気兼ねもこだわりもない
三百六十行 sān bǎi liù shí háng いろいろな職業。(三百六十行,行行出状元。どんな職業でもすぐれた人物は出るものだ)(状元 科挙の首位合格者)
三寸不烂之舌 sān cùn bú làn zhī shé 弁舌の才。(舌の先が爛れてさえいなければ、言葉を拠り所として人を服させることができる)(史記)
三分面粉加七分水 → 十分糊涂 sān fēn miàn fěn jiā qī fēn shuǐ → shí fēn hú tú うどん粉三分に水七分 → 十分どろどろ(=間抜け)
三分人才,七分打扮 sān fēn rén cái,qī fēn dǎ bàn 人の才智や容貌のよさよりも、衣服や身なりの方がずっと大切だ、馬子にも衣装。
三分像人,七分像鬼 sān fēn xiàng rén,qī fēn xiàng guǐ 人に似ているよりも幽霊に似ている。痛めつけられ二度と見られないほどである。
三伏天的凉风 → 来的是时候 sān fú tiān de liáng fēng → lái de shì shí hou 土用の涼風 → 待ってました
三个臭皮匠 → 顶个诸葛亮 sān ge chòu pí jiàng → dǐng gè zhū gě liàng 三人寄れば → 文殊の知恵
三个臭皮匠赛过诸葛亮 sān ge chòu pí jiàng sài guò zhū gě liàng 三人寄れば文殊の知恵。(三人のけちな靴屋が諸葛孔明に勝る)
三家村 sān jiā cūn 家が三軒しかないくらいの辺鄙な小村。片田舎。寒村。
三加二减五 → 等于零 sān jiā èr jiǎn wǔ → děng yú líng 三プラス二マイナス五 → 結局はゼロ。もとの木阿弥
三九天卖凉粉 → 不识时务 sān jiǔ tiān mài liáng fěn → bù shí shí wù 真冬にところてん売り → 時世・時節をわきまえぬ
三句话不离本行 sān jù huà bù lí běn háng 二言目には商売の話になる。(本来の面目がすぐ知られる。自然と正体が現れる)
三人行,必有我师焉 sān rén xíng,bì yǒu wǒ shī yān。 三人行けば、必ず我が師あり。(論語)
三人言而成虎 sān rén yán ér chéng hǔ。 三人言いて虎を成す。(ありえない噂や虚言でも、言う人が多ければ、信じてしまう人がいるものだ)(戦国策)
三十六计,走为上策 sān shí liù jì,zǒu wèi shàng cè 三十六計逃げるに如かず。(水滸伝 百四回)
三十年河东,三十年河西 sān shí nián hé dōng,sān shí nián hé xī 十年は黄河の東に、十年は黄河の西に。川筋が変わるように世の中の変化は激しい。
三思而后行 sān sī ér hòu xíng 三度(みたび)思ひてのち行ふ。熟考の上実行する。(論語)
三岁定八十 sān suì dìng bā shí 三歳にしてその一生を定むる。三つ子の魂百まで。
三岁看大,七岁看老 sān suì kàn dà , qī suì kàn lǎo その人の三歳の姿から成人の時を、七歳の姿から老年の時を想像できる。三つ子の魂百まで。
三岁娃娃贴对联 → 不知上下 sān suì wá wa tiē duì lián → bù zhī shàng xià 三才の子供が対の短冊貼り → 上下の区別もわからない
三天打鱼,两天晒网 sān tiān dǎ yú,liǎng tiān shài wǎng 三日坊主。三日出漁すれば、二日網を干す。飽きて長続きしないたとえ。
三天早起,当一工 sān tiān zǎo qǐ,dāng yī gōng 早起きは三文の得。(三日続けて早起きすれば、一人分の働きに匹敵する)
三下五除二 sān xià wǔ chú èr てきぱきと事を行う。(珠算で三を足すには五の珠を下ろして下の珠を二個除くことから)
杀风景 shā fēng jǐng 興ざめする。(蛮好的风景区,却盖了这么些高楼,真杀风景。すばらしい景勝地なのにこんな高いビルを建てるなんて、まったく景色が台なしだ)
砂锅捣蒜 → 一锤子买卖 shā guō dǎo suàn → yì chuí zi mǎi mai 土鍋で大蒜をたたきつぶす → 一発勝負の商売
杀鸡取旦 → 只顾当前利益 shā jī qǔ dàn → zhǐ gù dāng qián lì yì 鶏を殺して卵を取り出す → 目先の利益優先
杀鸡焉用牛刀 shā jī yān yòng niú dāo 鶏を割くに焉(いずく)んぞ牛刀を用ゐん。些細なことを大げさにする必要はない。(論語)
杀鸡用牛刀 → 小题大作 shā jī yòng niú dāo → xiǎo tí dà zuò 鶏料理に牛刀を使う → 些細なことを大げさに
杀人不见血 shā rén bú jiàn xiě 人を殺すに血を見せず。手段が陰険悪辣だ。(陰険な方法で人を殺して痕跡を残さない)
杀人不眨眼 shā rén bù zhǎ yǎn 人を殺すに瞬きもせず。きわめて残忍だ。(智深听了道:原来如此。小僧有个道理,教他回心转意,不要娶你女儿如何?太公道:他是个杀人不眨眼魔君,你如何能够得他回心转意? それを聞いて魯智深は言った。なんとそうでござったか、手前にひとつ考えがあります。奴の心を入れ替えさせ、お嬢様を娶らせないようにいたしましょう、いかがでござる。これを聞いて太公は言った。奴はまばたきもせずに人を殺す極悪人です。あなたはどうして、奴を改心させることができましょうや)(水滸伝 五回)
筛子当水桶 → 漏洞百出 shāi zi dāng shuǐ tǒng → lòu dòng bǎi chū ふるいを水桶にする → 穴だらけ。手落ちばかり
山高故不贵,以有树为贵 shān gāo gù bù guì,yǐ yǒu shù wéi guì 山高きが故に貴からず、樹あるを以て貴しと為す。(山は樹木があるから貴い。人も外見の美をもって貴しとせず、知徳のあることが貴いのである)(実語教)
山阴道上,应接不暇 shān yīn dào shàng,yìng jiē bù xiá 山陰の路は、美しい景色が多すぎて、観賞しきれない。(从山阴道上行,山川自相映发,使人应接不暇。山陰道は、山河が互いに映り合って美しく、いちいち応接に暇がないほどだ)(世説新語 言語)
善用人者为之下 shàn yòng rén zhě wèi zhī xià。 善く人を用うる者は之れが下(しも)と為る。(大勢の人間を巧みに使おうと思うなら、自分が一番低い所にいる心掛けが必要である)(老子)
善有善报,恶有恶报 shàn yǒu shàn bào,è yǒu è bào 善い事をすれば善い報いがあり、悪い事をすれば悪い報いがある。
山雨欲来风满楼 shān yǔ yù lái fēng mǎn lóu 山雨欲来风满楼 山雨来たらんと欲して風、楼に満つ。嵐の前触れ。一触即発。(溪云初起日沉阁,山雨欲来风满。渓雲湧きて日、楼閣に沈み、山雨来たらんと欲して風、楼に満つ)(許渾 咸陽城東楼詩)
三月不知肉味 sān yuè bù zhī ròu wèi 三月、肉の味を知らず。あることに夢中になって三か月間、肉を食べても、その味さえ分からなくなった。(論語)子在齐闻韶,三月不知肉味。(论语·述而)
山中无老虎,猴子称大王 shān zhōng wú lǎo hǔ,hóu zi chēng dà wáng 山に虎がいなければ、猿が大王を称する。優れた人物がいなければ少々の能力でも威張ることができる。鳥無き里の蝙蝠。
上岸的螃蟹 → 横行霸道 shàng àn de páng xiè → héng xíng bà dào 陸に上がった蟹 → 横暴・横行したい放題
上不着天,下不着地 shàng bù zhe tiān,xià bù zhe dì 上は天に届かず、下は地に着かず。にっちもさっちもいかない。落ち着かない。(儿子走了以后,她的心中空空落落,上不着天,下不着地的。息子が行ってしまってから、彼女は心にぽっかり穴があいたような落ち着かない気持ちになった)
上方不足,下比有余 shàng fāng bù zú,xià bǐ yǒu yú 上には上があるが、下と比べるとまだましの方だ。
上街不带钱 → 闲溜 (看热闹) shàng jiē bù dài qián → xián liū (kàn rè nao) 街へ出るのに金持たず → 暇つぶし。ひやかし
上梁不正下梁歪 shàng liáng bú zhèng xià liáng wāi 上の棟木が曲がっていると、下の梁(はり)もゆがむ。上のなすこと下これにならう。
上善如水 shàng shàn rú shuǐ。 上善は水の如し。(自らは低い位置に身を置くことが最高の善である)(老子)
上天无路,入地无门 shàng tiān wú lù,rù dì wú mén 天に昇る道はなく、地に入る門もない。追い詰められて途方に暮れる。
上天摘星星 → 异想天开 shàng tiān zhāi xīng xīng → yì xiǎng tiān kāi 空に上がって星をとる → とんでもない考え
上无片瓦,下无立锥之地 shàng wú piàn wǎ,xià wú lì zhuī zhī dì 上には一片の瓦もなく、下にはきりを突き立てる土地すらない。極めて貧しく無一物。
上眼皮和下眼皮打架 shàng yǎn pí hé xià yǎn pí dǎ jià 上まぶたと下まぶたがけんかする。眠くてまぶたがくっつく。
上有天堂,下有苏杭 shàng yǒu tiān táng,xià yǒu sū háng 天には極楽があり、地には蘇州杭州がある。
少年易老学难成 一寸光阴不可轻 shào nián yì lǎo xué nán chéng yí cùn guāng yīn bù kě qīng 少年老い易く学成り難し一寸の光陰軽んず可からず(人生もまだまだ先があると思っているうちに、いつの間にか老境がせまって来る。学業はなかなか成就しないものであり、わずかな時間も軽んじてはならない)偶成 (朱熹) 
少壮不努力,老大乃傷悲 shào zhuàng bù nǔ lì,lǎo dà nǎi shāng bēi 若いときに努力しないと、年をとってからいたずらに悲しむだけだ。楽府古辞「長歌行」(無名氏)
舍得一身剐,敢把皇帝拉下马 shě de yì shēn guǎ,gǎn bǎ huáng dì lā xià mǎ わが身が八つ裂きになろうとも、あえて皇帝を権力の座から引きずり降ろす。(命がけで死んでもやり遂げる)
舍华求实 shě huá qiú shí 華を捨て実を求む。花より団子。
射人先射马 → 擒贼先擒王 shè rén xiān shè mǎ → qín zéi xiān qín wáng 人を射るには先ず馬を射よ → 賊を捕らえるにはまず首魁を
舌头底下压死人 shé tou dǐ xià yā sǐ rén 舌の根で人を圧死させる。根も葉もないデマを飛ばして人に大きな損害を与える。
舌头上抹蜜 → 尽讲甜话 shé tou shàng mò mì → jìn jiǎng tián huà 舌に蜜を塗る → 甘い言葉ばかり話す
蛇吞象 → 不自量 shé tūn xiàng → bú zì liàng 蛇が象を飲み込む → 身の程知らず
神不知,鬼不觉 shén bù zhī,guǐ bù jué だれにも気づかれずに。いつのまにか。(半夜里从后门溜出,神不知,鬼不觉地走人了。夜中に裏口から抜け出して、こっそりとずらかった)
神龙见首不见尾 shén lóng jiàn shǒu bú jiàn wěi 神龍は頭を見せるだけで尾は見せない。ちらりと姿を見せるだけで実体はとらえがたい。
什么病开什么方 → 对症下药 shén me bìng kāi shén me fāng → duì zhèng xià yào 薬の処方は病状による → 状況に応じて解決法を考慮する。
什么人说什么话 → 立场不同,看法不同 shén me rén shuō shén me huà → lì chǎng bù tóng,kàn fǎ bù tóng 人はその人なりの話をする → 立場が違えば、見方も異なる。十人十色
身体发肤受之父母,不敢毁伤,孝之始也  shēn tǐ fā fū shòu zhī fù mǔ,bù gǎn huǐ shāng,xiào zhī shǐ yě 身体髪膚(はっぷ)これ父母に受くあえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。体全体は父母から頂戴したものであるから、身を大切に慎んで、傷つけないようにすることが、親孝行の第一歩である。(孝経)
身在曹营心在汉 shēn zài cáo yíng xīn zài hàn 身は曹営にあれども、心は漢にあり。身はここ(敵地)にあっても心はほかの所(味方の中)にある。心ここにあらず。(深感丞相厚意。只是吾身虽在此,心念皇叔,未尝去怀。曹操殿のご厚意には、かねがね感じ入っておるが、それがし身は此処にあるとはいえ、心は劉皇叔を思って忘れられぬのでござる)(三国演義 二十五回)
胜败乃兵家常事 shèng bài nǎi bīng jiā cháng shì 勝敗は兵家の常。勝ち負けは時の運。
胜不骄,败不馁 shèng bù jiāo,bài bù něi 勝ってもおごらず、負けてもめげない。
生的伟大,死的光荣 shēng de wěi dà,sǐ de guāng róng 偉大に生き、誇り高く死す。
胜读十年书 shèng dú shí nián shū 一晩語り合えば、十年間本を読むことより勝る。優れた人と話をすることは、多くの書物を読んで知識を得るよりずっと有益である。(与君一夕话,胜过十年书。君と一晩話をするのは、十年間の読書にまさる)
绳锯木断,水滴石穿 shéng jù mù duàn,shuǐ dī shí chuān 縄の鋸、木を断ち、雨垂れ石をうがつ。(たゆまずに努力すれば必ず事を成し遂げる)
生米煮成熟饭 shēng mǐ zhǔ chéng shú fàn 米が炊けて飯になる。(できてしまった事は今更変えられない)。既成事実。
盛名之下,其实难副 shèng míng zhī xià,qí shí nán fù 名声は高いが実質が伴わない。評判倒れ。
生气不养财 shēng qì bù yǎng cái 短気は損気。
胜着王侯,败着囚 shèng zhe wáng hóu,bài zhe qiú 勝てば官軍、負ければ賊軍。
十八层地狱 shí bā céng dì yù 地獄のどん底。
十八罗汉请观音 → 客少主人多 shí bā luó hàn qǐng guān yīn → kè shǎo zhǔ rén duō 十八羅漢が観音さんを招待 → 客は少なく主人側は大勢
失败为成功之母、吃小亏占大便宜 shī bài wèi chéng gōng zhī mǔ、chī xiǎo kuī zhàn dà pián yi 失敗は成功の元。負けるが勝ち
士别三日,当刮目相待 shì bié sān rì,dāng guā mù xiāng dài 士、別れて三日なれば、当(まさ)に刮目(かつもく)して相待すべし。有為の人物というものは、別れて三日のちに会ったときには、目をこすって見直さなければならない。必ず進歩しているものだ。(十八史略 東漢 献帝、三国志 呉書 呂蒙伝)
事不关己,高高挂起 shì bù guān jǐ,gāo gāo guà qǐ 事、己(おのれ)に関せざれば、高高(かうかう)と桂起(けいき)す。自分にかかわりのないことはほうっておく。
十步九回头 → 难舍难分 shí bù jiǔ huí tóu → nán shě nán fēn 十歩のうち九回振り返る → 別れるに忍びない
食不厌精,脍不厌细 shí bù yàn jīng,kuài bù yàn xì 食は精を厭わず、膾(かい)は細(さい)を厭わず。穀物はできるだけ丹念に精白し、肉はできるだけ丹念に細切りにするとよい。(論語)斋必变食,居必迁坐。食不厌精,脍不厌细。(论语·乡党)
士不饮盗泉之水 shì bù yǐn dào quán zhī shuǐ 壮士は盗泉の水を飲まず。武士は食わねど高揚枝。(陸機 猛虎行)
十步之内,必有芳草 shí bù zhī nèi,bì yǒu fāng cǎo 十歩の内、必ず芳草(はうさう)有り。いたるところに人材はいるものである。(説苑)
石沉大海 → 无消息 (没回音) shí chén dà hǎi → wú xiāo xi (méi huí yīn) 石が海に沈む → こだま(=返事)なし
视而不见,听而不闻 shì ér bú jiàn,tīng ér bù wén 見れども見えず、聞けども聞こえず。
十个手指头有长短 shí gè shǒu zhǐ tou yǒu cháng duǎn 十本の指にも長短有り。十人十色
事后诸葛亮 shì hòu zhū gě liàng 事件の後の諸葛孔明。事件が終わった後で偉そうなことを言っても何にもならない。
试金石 shì jīn shí 試金石。(这件工作是检验他本领的试金石。この仕事は彼の実力が判断される試金石だ)
是可忍,孰不可忍 shì kě rěn,shú bù kě rěn 是れを忍ぶ可(べ)くんば、孰(なに)をか忍ぶ可(べ)かざらん。これが我慢できるなら一体何が我慢できないというのか。(絶対に我慢できない)
十目所视,十手所指 shí mù suǒ shì,shí shǒu suǒ zhǐ 十目の見る所、十手の指す所。監視する人が多く隠れて悪いことをしてもすぐにばれる。
十年河东,十年河西 shí nián hé dōng,shí nián hé xī 十年は川の東、十年は川の西。黄河は川筋がよく変わるので、元々川の東側だったところが何年かすると西側に変わっていたりする。世の中の盛衰は常に移ろい易い。
十年九不遇 shí nián jiǔ bú yù 十年のうち九年は遇わず。めったにない。(这么大的洪水,十年九不遇。これほどすごい洪水はまったく珍しい)
十年生聚,十年教训 shí nián shēng jù,shí nián jiào xùn 十年の生聚(せいしゅう)、十年の教訓。十年間、民を殖やし財を蓄え、十年間、教育訓練する。一度失敗した後、富国強兵で力を蓄え、恥辱を晴らす。(越十年生聚而十年教训,二十年之外,吴其为沼乎。越国が今後十年間に、民を殖やし財を蓄え、その後の十年間に教育訓練すれば、二十年後には、呉国は沼地と化しているであろう)(春秋左氏伝 哀公元年)
十年树木,百年树人 shí nián shù mù,bǎi nián shù rén 木を育てるには十年、人を育てるには百年。(人材を育成するのは容易でない)
十七十八力不全,二十七八正当年 shí qī shí bā lì bù quán,èr shí qī bā zhèng dāng nián 17、18は力が十分でなく、27、8こそ働き盛りである。
十日一水,五日一石 shí rì yī shuǐ,wǔ rì yī shí 十日間かけて、ひとつ川を描き、五日間かけて、ひとつ石を描く。苦心惨憺する。
世上无难事,只怕有心人 shì shàng wú nán shì,zhǐ pà yǒu xīn rén 世の中に難しいことはない、ただ心がけしだいである。精神一到何事か成らざらん。
事实胜于雄辩 shì shí shèng yú xióng biàn 論より証拠。事実は雄弁にまさる。
识时务者为俊杰 shí shí wù zhě wéi jùn jié 時の情勢に明るい人は俊傑である。
十万八千里 shí wàn bā qiān lǐ 非常に遠く離れている。(他的报告离正题十万八千里。講演は本題からはるかにかけ離れている)
十五的月亮 → 好圆 (缘) shí wǔ de yuè liang → hǎo yuán (yuán) 十五夜のお月さん → とっても丸い(=良縁)
失之东隅,收之桑榆 shī zhī dōng yú,shōu zhī sāng yú 東方に之を失い、西方に之を収む。先に失敗しても、あとでそれを取り戻す。桑榆(落日の射すクワやニレの梢。西方の意)
失之毫厘,谬以千里 shī zhī háo lí,miù yǐ qiān lǐ 之を失うに毫厘(がうり)なれど、謬(あやま)るに千里を以てす。ほんのわずかの食い違いが、しまいには千里もの違いになってしまう。
拾芝麻丢西瓜 → 贪小失大 shí zhī ma diū xī guā → tān xiǎo shī dà ごまを拾うため西瓜を捨てる → 小事の為に大事を失う
狮子大开口 shī zi dà kāi kǒu 法外な値段をふっかける。(出租车司机一旦知道我是日本人,就会狮子大开口。タクシーの運転手は私が日本人だと分かるとふっかけてきた)
首恶必办,胁从不问,立功受赏 shǒu è bì bàn,xié cóng bù wèn,lì gōng shòu shǎng 首謀者は必ず処罰するが、脅かされて従った者はその罪を問われず、功績のある者は賞される。(毛沢東)
受惊的兔子 → 东跑西窜 shòu jīng de tù zi → dōng pǎo xī cuàn 驚きおののいた兎 → 右往左往駆け回る
手里没钱活死人 shǒu lǐ méi qián huó sǐ rén 金がないのは首がないのと同じ。
手巧不如家什妙 shǒu qiǎo bù rú jiā shí miào 手先の器用より道具の利用。
守如处女,出如脱兔 shǒu rú chǔ nǚ,chū rú tuō tù 初めは処女の如く、終わりは脱兎の如し。弱く見せかけすばやく行動する。
收生婆说媒 → 一包到底 shōu shēng pó shuō méi → yī bāo dào dǐ 産婆さんが仲人口をきく → とことんすべておまかせ
瘦死的骆驼 → 比马大 shòu sǐ de luò tuo → bǐ mǎ dà 痩せて死んだ駱駝 → それでも馬より大きい。腐っても鯛
瘦死的骆驼比马大 shòu sǐ de luò tuo bǐ mǎ dà 腐っても鯛。痩せて死んだ駱駝でも馬よりは大きい。(規模や実力のある組織は、衰えても一般水準よりはましだ)
手无缚鸡之力 shǒu wú fù jī zhī lì 手にニワトリを縛る力もない。体が弱々しいさま。
手下留情 shǒu xià liú qíng お手柔らかに。(对方是个孩子,你要手下留情。相手は子どもだ、加減してやれ)
寿则多辱 shòu zé duō rǔ。 寿(じゅ)なれば則ち辱(はぢ)多し。命が長くなれば、それだけその間の恥も多くなる。(荘子)
守株待兔 shǒu zhū dài tù 株を守りてウサギを待つ。(柳の下にいつもどじょうはいない)
树大招风、出头的椽子先烂 shù dà zhāo fēng、chū tóu de chuán zi xiān làn 出る杭は打たれる。(軒先に露出した垂木は真っ先に風雨で腐る)
树倒猢孙散 shù dǎo hū sūn sàn 木が倒れ猿たちは散らばる。中心人物が没落し、従っていた者も散り散りばらばらになる。
熟读唐诗三百首,不会吟诗也会吟 shú dú táng shī sān bǎi shǒu,bú huì yín shī yě huì yín 『唐詩三百首』を熟読すると、詩を作れない者も作れるようになる。
树欲静而风不止,子欲养而亲不在 shù yù jìng ér fēng bù zhǐ,zǐ yù yǎng ér qīn bù zài 木は静まろうとしても風はやまない、子供が親に孝行しようとしても親は亡くなって願いどおりにならない。(物事は、自分の望む通りに運ばないものだ)
蜀中无大将,廖化作先锋 shǔ zhōng wú dà jiāng,liào huà zuò xiān fēng 優れた将軍がいないため、廖化が先駆けを務める。廖化は蜀の武将で、愚将ではないが、ときに失敗を犯す老将であり、人材不足の場合には、やむを得ず平凡な者が指導者になることをいう。鳥なき里の蝙蝠。(没有杰出人才﹐平庸者也侥幸成名。傑出した者がいなければ凡庸な者でも重職につく)(三国演義 百十三回)
耍花腔 shuǎ huā qiāng 小細工をする。調子のいいことを言う、うまく言いくるめる。
摔破的镜子 → 不能重圆 shuāi pò de jìng zi → bù néng chóng yuán 割れた鏡 → もとには戻れない
水底捞月 → 一场空 shuǐ dǐ lāo yuè → yì cháng kōng 水底の月をすくおうとする → すべて空しい。無駄骨折り
水火不相容 shuǐ huǒ bù xiāng róng 水と火のように相容れない。(俩人水火不相容。二人は犬猿の仲だ)
谁家锅底没黑? shuí jiā guō dǐ méi hēi? 誰の家のなべの底は黒くないだろうか。どこの家でも体面を失うようなことがある。
水浇鸭背 shuǐ jiāo yā bèi 蛙の面に水。(平然としている)(跟他怎么说也是水浇鸭背。彼にいくら言っても蛙の面に水だ)
水可载舟,亦可覆舟 shuǐ kě zǎi zhōu,yì kě fù zhōu 水は船を浮かべる事もできるが、同時に船を転覆させることができる。民を大事にする。
水里煮石头 → 一辈子熟不了 shuǐ lǐ zhǔ shí tou → yí bèi zi shú bù le 水で石ころを煮る → 一生煮上がらぬ(馴染めぬ)
水至清则无鱼,人至察则无徒 shuǐ zhì qīng zé wú yú,rén zhì chá zé wú tú 水至って清ければ則ち魚無く、人至って察なれば徒無し。(あまり賢明であると、他人から敬遠されて孤立してしまう)
水中的鱼,天上的鸟 → 自由自在 shuǐ zhōng de yú,tiān shàng de niǎo → zì yóu zì zài 水の魚、空の鳥 → 自由自在。勝手気まま
水中捞月 → 一场空 shuǐ zhōng lāo yuè → yì cháng kōng 水に映った月をすくい取る → むだな努力
水中月,镜中花 → 可望不可及 shuǐ zhōng yuè,jìng zhōng huā → kě wàng bù kě jí 水中の月、鏡の中の花 → 眺められても手は届かない
顺水推舟 shùn shuǐ tuī zhōu 渡りに舟。(吵架后,夫妻俩显有悔意,丈夫顺水推舟,先当了和事佬。喧嘩の後、夫婦二人は後悔し始め、夫はここぞとばかり、先に仲直りを申し出た)
顺水推舟 → 不费力 shùn shuǐ tuī zhōu → bù fèi lì 流れに従い船を押してやる → 苦労せずにやれる
顺天者昌,逆天者亡 shùn tiān zhě chāng,nì tiān zhě wáng 天に従うものは栄え、天に逆らうものは滅ぶ。
顺着线头找针脚 shùn zhe xiàn tóu zhǎo zhēn jiǎo 糸口に沿って針目を捜す。手掛かりを頼りに解決の糸口を捜す。
说曹操,曹操就到 shuō cáo cāo,cáo cāo jiù dào 曹操のことを話していると、曹操が来る。うわさをすれば影がさす。
说大话,使小钱 shuō dà huà,shǐ xiǎo qián 大きな口をきくが使うのは小銭である。
说时迟,那时快 shuō shí chí,nà shí kuài 说时迟,那时快 話した時にはもう遅く、その時既に事件は起こっていた。事がまたたく間に起こる。(说时迟,那时快,只见白光一闪,怪人二十面相就不见了。その瞬間、白い光がぴかっと光ると、怪人二十面相の姿は消え失せていた)
说书的开了本 → 言归正传 shuō shū de kāi le běn → yán guī zhèng zhuàn 講釈師が書物を開く → 閑話休題。本題に戻る
说嘴的大夫没好药 shuō zuǐ de dài fu méi hǎo yào 自慢する医者はよい薬を持っていない。大口をたたく人は真の才能や学識を持たない。
思而不学则殆 sī ér bù xué zé dài 思ひて学ばざれば則ち殆(あやふ)し。物事をよく考える、それはよい事だ。だがそれだけで、もし学ぶことがなかったら、独断的になってしまう恐れがある。ことに若い人は、知識も視野も浅く狭い。真に正しい行動を起こすためには、やはり深い知識と思索の両方が欠かせない。→ 学而不思则罔(学びて思はざれば則ち罔し)(論語)
四海之内皆兄弟 sì hǎi zhī nèi jiē xiōng dì 世界の人々が親しみあうこと皆兄弟のごときであるべきだ。
死里逃生 sǐ lǐ táo shēng 九死に一生。(在千钧一发之际死里逃生。間一髪のところで死を逃れた)
死马当活马医 sǐ mǎ dāng huó mǎ yī 死んだ馬を生きている馬として治療する。無駄と知りながら最後の努力をする。(医生露出了一副苦涩的脸说:没有把握,只能死马当做活马医了。医者は、苦渋に満ちた表情で言った。「助かる確証はないが、やってみるしかない」)
司马牛之叹 sī mǎ niú zhī tàn 司馬牛(しばぎゅう)の嘆き。司馬牛が嘆いて言う「皆は立派な兄弟があるのに、私だけがそういう兄弟がない」子夏が言う「生死は天命であり、富や尊きは天にある。人格者が他者を敬って落ち度が無く、恭しく振舞って礼に違うことがなければ、この世の全てがみな兄弟と言える。人格者がどうして兄弟が居ないと嘆く必要があろうか」(論語)司马牛忧曰人皆有兄弟,我独亡。(论语·颜渊)
司马昭之心,路人皆知 sī mǎ zhāo zhī xīn,lù rén jiē zhī 司馬昭(晋の武帝・司馬炎の父)の心は、道行く人まで皆知っている。(権力をねらう野心家の陰謀は誰でも知っている)
寺庙里的木鱼 → 任人敲打 sì miào lǐ de mù yú → rèn rén qiāo dǎ お寺の木魚 → 人々に打たれるまま
死生有命,富贵在天 sǐ shēng yǒu mìng,fù guì zài tiān 死生命あり、富貴天に在り。人間の生も死も、はたまた貧富、貴賤も、すべて天命であって、個人がどうすることもできないものだ。(論語)子夏曰商闻之矣,死生有命,富贵在天。(论语·颜渊)
四体不勤,五谷不分,孰为夫子 sì tǐ bù qín,wǔ gǔ bù fēn,shú wèi fū zǐ 野良で汗を流さず、五穀の区別もできなくて、どうして先生などと言えようか。(労働を忘れて大衆から遊離している)。(論語)
死无葬身之地 sǐ wú zàng shēn zhī dì 死んでも葬る所がない。(野山にしかばねをさらす)
死要面子,活受罪 sǐ yào miàn zi,huó shòu zuì どこまでも体面にこだわって、むざむざとひどいめに遭う。
死诸葛能走生仲达 sǐ zhū gé néng zǒu shēng zhòng dá 死せる孔明、生ける仲達を走らす。(死してなお影響力がある)(十八史略 三国)
送佛送到西天 sòng fó sòng dào xī tiān 仏を送るなら天竺まで。人助けをするなら、最後まで徹底して行わなければならない。
松树当柴烧 → 大材小用 sōng shù dāng chái shāo → dà cái xiǎo yòng 松の木を柴にして燃やす → 役不足。人材の無駄使い。
宋襄之仁 sòng xiāng zhī rén 宋襄の仁。無益な哀れみをかけること、また、おろかな情けのたとえ。宋の襄公は、敵の楚軍の陣営が整わないとき、攻撃を控えたために、敗れ亡ぼされてしまった。愚かな仁者として、後世の人はこれを笑った。(十八史略 春秋戦国 宋)
岁寒知松柏 suì hán zhī sōng bǎi 厳寒に松柏(しょうはく)を知る。冬を経験して初めて松、柏が寒さに強いことを知る。危難の時に人の真価がわかる。(岁寒,然后知松柏之后凋也。厳寒の冬になると、樹木は皆しぼんでしまうが、松や柏はしぼまないことがよく分かる)(論語)
随机应变 suí jī yìng biàn 臨機応変。(在市场竞争中,顺应时势,随机应变是关键的。市場競争においては、時勢を見極め、臨機応変に対応することが肝心である)
岁月不待人 suì yuè bù dài rén 歳月人を待たず。(及时当勉励,岁月不待人。時に及んで当(まさ)に勉励すべし、歳月人を待たず)(陶淵明 雑詩)
孙悟空变山神庙 → 露了尾巴 sūn wù kōng biàn shān shén miào → lù le wěi ba 孫悟空、山寺の祠に化ける → 尻尾が見える。(頭隠して尻隠さず)
孙悟空大闹天宫 → 慌了神 sūn wù kōng dà nào tiān gōng → huāng le shén 孫悟空、天宮で大暴れ → 大パニック
孙悟空赴蟠桃会 → 不请自到 sūn wù kōng fù pán táo huì → bù qǐng zì dào 孫悟空、蟠桃会へ赴く→ 招かれざる客
孙悟空落在如来佛手心里 → 跳不出去 sūn wù kōng luò zài rú lái fó shǒu xīn li → tiào bù chū qù 孫悟空、如来の掌に落ち込む → 飛び出せない。(上には上がある)
孙悟空守桃园 → 自食其果 sūn wù kōng shǒu táo yuán → zì shí qí guǒ 孫悟空、蟠桃園を見張る → その園の実を食う。(自業自得)
所向无敌 suǒ xiàng wú dí 向う所敵なし。(英勇的八路军所向无敌。勇敢な八路軍は破竹の勢いである)