10月6日  タイムカプセル(28)昭和57年(1982年)  タイム・カプセル

直線上に配置


この年、千代田区永田町のホテル・ニュージャパン9階の客室から出火。9、10階など4380平方メートルを焼いた。

火の回りが早かったためと報知器が作動しなかったため、客の避難が遅れ、煙にまかれたり
地上に飛び下りたりして33人が死亡、重軽傷29人を出した。

同ホテルはスプリンクラーや防火壁のない欠陥構造で、消防署から改善命令が出されていた。
原因は客の寝たばこの不始末とみられる。横井英樹社長ら4人が業務上過失致死容疑で逮捕。


(映画)第55回アカデミー賞「ガンジー 」

「ET」「ランボー」「少林寺」

東映「鬼龍院花子の生涯」(仲代達矢夏目雅子)東宝「ひめゆりの塔」(栗原小巻古手川祐子田村高広)東宝「刑事物語」(武田鉄矢高倉健西田敏行田中邦衛)松竹「蒲田行進曲」(松坂慶子、風間杜夫、平田満)


(音楽)第24回レコード大賞「北酒場」細川たかし

聖母(マドンナ)たちのララバイ」岩崎宏美「待つわ」あみん「氷雨」佳山明生、日野美歌「3年目の浮気」ヒロシ&キーボー「さざんかの宿」大川栄策「 めだかの兄妹」わらべ。小泉今日子、中森明菜、早見優、堀ちえみデビュー。

ウエディング・ベルシュガー「渚のバルコニー」「赤いスイートピー」松田聖子「けんかをやめて」河合奈保子「立待岬」森昌子「ふたりの大阪」都はるみ・宮崎雅「Thriller」Michael Jackson 「
Xanadu」Olivia Newton-John

(テレビ)けものみち(NHK 名取裕子、山崎努伊東四朗)ハイカラさん(NHK 手塚理美)君は海を見たか(フジ 萩原健一、六浦誠、伊藤蘭、関根恵子)笑っていいとも!(フジ タモリ)遠山の金さん(テレ朝 高橋英樹、樹木希林、あべ静江)黒革の手帖(テレ朝 山本陽子田村正和

必殺仕事人3(テレ朝  藤田まこと、三田村邦彦、中条きよし、山田五十鈴)淋しいのはお前だけじゃない(TBS 西田敏行、財津一郎、木の実ナナ)結婚(TBS 三田佳子、赤木春恵、新克利、杉田かおる) 1982年(昭和57年)松平右近事件帳(NTV 里見浩太朗、松山英太郎、水沢アキ)さすがの猿飛(フジ)




                            






(スポーツ)(3回目) 北の海、通算873勝、大鵬の記録破る。第12回ワールドカップ (開催国)スペイン(優勝国)イタリア

(ファッション)古着ルック

(流行語)逆噴射、ネクラ、ほとんどビョーキ、ルンルン、なめたらいかんぜよ

(社会)2/8東京赤坂のホテル・ニュージャパンで火災。33人死亡。2/9日航機、羽田沖で逆噴射墜落。4/1 500円硬貨登場。4/2フォークランド紛争勃発、英国の勝利で6/14停戦。6/6レバノン戦争勃発。6/8ロッキード事件全日空ルート裁判で橋本、佐藤被告に有罪判決。政界に衝撃。

6/23東北新幹線開業。8/21 PLOベルイート撤退。9/16ベイルート難民大量虐殺。9/22三越ニセ秘宝展問題で岡田社長解任。10/12鈴木首相退陣。11/10ブレジネフ書記長急死。11/12アンドロポフ新政権発足。11/15上越新幹線開業。11/27中曾根政権誕生。

(物故)志村喬江利チエミ衣笠貞之助、、佐分利信、灰田勝彦、三波伸介伏見直江イングリッド・バーグマングレース・ケリー

(その他)中森明菜、シングル「スローモーション」でデビュー。早見優「急いで!初恋」で歌手デビュー。秋本奈緒美、アルバム「Rolling907s」でデビュー。大竹しのぶ、服部清治と結婚(1子をもうけるが、1987年死別)。斉藤慶子、「もの想いシーズン」で歌手デビュー。石野真子、長渕剛と結婚。桑田圭祐、原由子と結婚。

500円硬貨発行。窓ぎわのトットちゃん(黒柳徹子)。気くばりのすすめ(鈴木健二)。フルムーン旅行(国鉄) 宮崎駿「風の谷のナウシカ」(アニメージュ)



直線上に配置



   
               
  Xanadu (Olivia Newton-John )





夏目雅子 (なつめまさこ) 


1977年(昭和52年)カネボウ化粧品のキャンペーンガールで注目を集める。

このときのCMディレクターが後に結婚することになる伊集院静だった。


周囲からは清純派の「お嬢さん」と見られがちだったが、その後すぐに
外見からは想像もできない激しい女優魂がさく裂。

1982年(昭和57年)東映「鬼竜院花子の生涯」では大胆な濡れ場を披露した。
セリフ「なめたらいかんぜよ」は流行語となった。


だがこの映画の3年後、病魔に襲われ、1985年(昭和60年)死去。

「薄幸美人」という形容が最も似合う天才女優は、わずか27歳の生涯を終えた。













       


笑っていいとも


タモリ(森田一義)司会のお笑いバラエティ番組(1982年10月から2014年3月まで放映)


主な出演者は、新人お笑いタレントと一般の視聴者が中心。

この素人たちが色々なコーナーで見せる珍芸やハプニングが、タモリの軽妙な司会と
相まって、番組独特のスタイルを生み出していた。



名物コーナー「テレフォンショッキング」は、毎回著名な芸能人がゲストとして登場し、
トークの後、ゲストの友達に翌日の出演を電話で依頼するというもの。


「それじゃお友達を」と言われて、ゲストが次のゲストの名前を口にすると、
観客が「えーっ」と一斉に声を上げる。これはお約束事になっていた。

翌日の友達紹介は、実はヤラセであり、数日前から次回のゲストは決定していた。


だが、28年間一度も途絶えずに友達の輪が続き、ギネスブックに認定されるほどの
長寿番組になったのは、ひとえにタモリの人柄、センスの成せる業なのだろう。


タモリ自身、長く続いた理由は「反省しない」「座右の銘は適当」と語っている。

確かに、ゲストとのトークは「はぁ」「へぇ」「ほぅ」などの相槌が主であった。

誰が相手でも、等しく淡々とした絶妙な距離感が、タモリの真骨頂となっていた。


だが1988年7月、美空ひばりがゲストの時は、さすがのタモリも緊張した様子だった。

昭和の大スターを前にしては、タモリもガチガチで、汗をすごくかいていたのを思い出す。









 



結婚


花田ハナ(赤木春恵)は、18年前、夫と別れ、区役所に勤めながら、四人の娘を育ててきた。

四人の娘たちはすべて未婚。長女・秋子(三田佳子)は、中堅の商事会社に勤めてはや19年。

美貌なのに浮いた話もない。なぜ独身なのか、会社でも不思議がられている。


次女・冬子(小鹿みき)は、家事一切を担当し、三女・夏子(小川知子)は、私立の医科大生、

そして四女・春子(杉田かおる)は、まだ高校生だ。暮らしは決して楽なものではない。


そんな中、酒に酔った秋子を上司の中原一平(新克利)が家まで送ってくる。

ハナは一平と秋子が一緒になってくれたらと願っているのだが…。



ひとつ屋根の下に暮らす母と女ばかりの五人家族が、それぞれ自分の幸せを模索していく姿を描く。


橋田寿賀子の脚本で「女性の眼から見た結婚とは」がテーマ。
出演者もほとんど、女性ばかりなだけに、女の考え方、感じ方が透視できるドラマとなっている。


母親を演じた赤木春恵の、いかにも日常的な演技が親近感をいだかせる。赤木は昨年、大河ドラマ
「おんな太閤記」に秀吉の母親役で出演。橋田寿賀子ドラマには欠かせない女優の一人である。


長女を演じた三田佳子はこの時期、良家の奥様など上品な役どころが多かったのだが、本作では
彼女のコミカルな味がほどよく生かされた役柄で新境地を見せている。












けものみち


成沢民子(名取裕子)は、半身不随で寝たきりの夫を抱え、働きづめの毎日だった。


ある日民子は、自らが勤める料亭「芳扇閣」の女将から、ひとりの男を紹介される。

小滝章二郎(山崎努)と名乗る彼は、ニューロイヤル・ホテルの総支配人だった。


小滝は民子に、今の生活から抜け出す手助けをすると申し出る。

民子は小滝の誘いに乗り、失火に見せかけて、寝たきりの夫(石橋蓮司)を焼き殺す。





その後、小滝は多額の報酬を約束し、民子を政界の黒幕・鬼頭(西村晃)の屋敷へ送り込んだ。


脳梗塞で不自由な生活を送る鬼頭の楽しみは、女や美術品など、美しいものを愛することだった。

鬼頭に気に入られた民子は、鬼頭の莫大な財力を後ろ盾に、奔放な生活を送るようになる。



1962年「週刊新潮」に連載された松本清張の同名サスペンス小説のドラマ化。

人間社会から逸脱した人間が通る「けものみち」に足を踏み入れた男女の運命が描かれる。


ホテル支配人の小滝は、料亭の仲居だった民子をそそのかし、政財界の黒幕・鬼頭の元に送り込む。

金のために夫を殺し、政財界のドンに囲われる悪女・民子を、名取裕子が熱演している。


半身不随の夫との暮らしに絶望していた、見るからに地味な彼女が、やがて男たちを踏み台に、
次第にしたたかな女に変身してゆくさまが見どころとなっている。

また、ムソルグスキーの「禿山の一夜」などの背景音楽も、ドラマ効果を盛り上げていた。









       




君は海を見たか


増子一郎(萩原健一)は、造船会社の主任として忙しい毎日を送っている。

彼は早くに妻を亡くし、一人息子の正一(六浦誠)、妹の弓子(伊藤蘭)と暮らしている。


ある日、息子の正一が体の不調を訴え、翌日の学校の欠席を弓子に申し出る。

仕事に忙殺されていた一郎は、正一の世話は妹に任せたまま、出張に出向いてしまう。


翌日弓子は正一を近くの病院に連れていくが、医師は大学病院での精密検査を勧めた。

精密検査の結果、正一は不治の病である腎臓がんと診断される。


急遽出張から戻り、病院に駆け込んだ一郎に、医師は余命三か月であることを告げる。

一郎は、休職願いを出し、息子に残された時間を一緒に過ごそうと決心するのだった。




仕事一筋の父親と、ひたすらにその父の愛を求める難病の子供との心のすれ違いを通して、
真の人間の生き方を問うシリアスドラマ。


息子が余命三か月と宣告された一郎は、会社からの帰宅電車でいつも見馴れた車窓の風景が
「はじめてみる風景」のように変わっていることに気づく。

車窓に夕暮れの郊外が飛び、夕日に染まった沿道の情景が色鮮やかに映る。

朝晩通っている電車の外の、見馴れたはずの景色が何故だかとても愛おしかった。


ある時、正一の小学校の担任に、正一が描いた真っ黒に塗りつぶした海の絵を見せられ、
息子さんに青い綺麗な海を見せた事はあるか、と聞かれハッとした一郎だった。

自分自身、仕事で毎日海を観ていた筈なのに、忙しさのあまり心の眼で観ていなかった。

一郎は、自分が仕事場とする真っ青な本当の海を、正一に見せてやろうと決心する。


本作は、谷川俊太郎の詩「生きる」がドラマ内で重要な要素として用いられているほか、
主題曲であるショパン「ワルツ10番」も印象に残る作品となっている。











淋しいのはお前だけじゃない


沼田薫(西田敏行)は、ウダツの上がらないサラ金の取り立て屋である。


ある日沼田は、サラ金会社の社長から、2000万円の金を取り立てて欲しいと頼まれる。

面倒を見ていた女芸者(木の実ナナ)が借金を背負ったまま、旅役者と駆け落ちしたという。


さっそく沼田は、二人の行方を追って四万温泉に辿り着く。

だが、ふとしたことから沼田は、その女芸者が、かつて情けを受けた恩人の娘と知る。


女芸者に同情した沼田は、なんとか彼女を助けようと考えるようになる。


あるとき沼田は、温泉街の演芸場で、役者たちが高額のおひねりを貰っているのを目撃する。

そこで沼田は、彼らと共にドサ回りの劇団を結成して借金を返済しようとするのだが…。





サラ金取り立て屋の男が、ひょんなことから大衆演劇の世界に足を踏み入れて
巻き起こす騒動を描いた人情コメディ。


最初は血も涙もなく貸金回収をしていた沼田だったが、義理と人情が時代を越えて
呼吸している旅回り一座を結成することになり、少しずつ変化していくという筋書き。


当時社会問題となった「サラ金地獄」と「大衆演劇」をドッキングさせたユニークかつ
時代を鋭く衝いた意欲的で完成度の高い作品となった。


沼田を演じた西田敏行が、劇中で女形を熱演して話題になった。


また、当時は無名だった梅沢富美男が本作で大ブレーク。

「下町の玉三郎」として、その後テレビや舞台などにひっぱりだことなった。


第一回向田邦子賞受賞作品。脚本は、大河ドラマ「黄金の日日」で知られる市川森一。













松平右近事件帳


藪太郎(里見浩太朗)は、長屋に診療所を開く心優しい町医者である。

貧しい人から金を取らず、食事抜きで往診に駆けつける姿が評判となり、

このところ大忙しの毎日だ。


ある日、神田祭の最中に、大奥勤めの女中・お光が何者かに殺害される。

お光の死に立ち合った藪太郎は、お光のお守り袋から御禁制の阿片を発見。

不審を抱いた藪太郎は、隠された真実を暴くため、密かに調査を開始する。




将軍家ゆかりの松平右近が、長屋住まいの町医者・藪太郎に身を変え、悪を成敗する痛快時代劇。


右近の右腕は、老中・青山下野守(芦田伸介)の配下で、行商を営む清太郎(松山英太郎)。


同じく老中の配下で、髪結いを稼業とするくノ一のおさよ(水沢アキ)。

おさよは、同じ長屋に住み、探索だけでなく、右近の診療にも協力している。



見どころは、葵の紋の付いた着物で登場し、身分を明かして悪を斬るクライマックス。

里見の代名詞となった華麗かつ優雅な殺陣の立ち回りを、存分に堪能することができる。


その他、ナレーションの第一人者・芥川隆行による名調子と、多くのヒット曲を手がけた

作曲家・小谷充の、力強さと勇ましさに満ちたオープニング・テーマが印象に残る。















フォークランド紛争 (Falklands War)


フォークランド諸島の領有をめぐりイギリスとアルゼンチンの間で勃発した武力衝突。

イギリスの勝利のうちに終結した。


フォークランド諸島は、南太西洋のアルゼンチン沖に浮かぶ島々である。

750以上の島で構成され、総面積は北アイルランドとほぼ同じ(12,173平方Km)


1833年から英国が実効支配していたが、1982年4月2日、アルゼンチン軍が突如、
部隊を派遣して交戦になった。


戦闘終結は約2カ月後。アルゼンチン軍が降服して停戦となったが、
アルゼンチン兵655人、英兵255人が戦死した。







(フォークランド諸島の領土問題)


1816年、アルゼンチンはスペインからの独立を宣言し、当時スペイン領であったフォークランド諸島
も相続したというのがアルゼンチンの主張である。


フォークランド諸島がスペイン領であることは、1713年のユトレヒト条約(Treaty of Utrecht)により、
国際的に承認されている。



一方、フォークランド諸島の実効支配は、1833年にイギリス軍がアルゼンチン兵士26名を諸島から
追い出して、諸島の領有を主張したことで始まった。


イギリス政府によると、英国探検家デイヴィス(John Davis)によるフォークランド諸島の発見は、
1592年のことであり、これが現在のイギリスの領有権主張の根拠となっている。


なお、近海に油田があるとされ、これも領土問題の一因となっている。