5月24日 タイムカプセル(1)昭和30年(1955年) タイム・カプセル |
この年、オードリー・ファッションがあこがれの的。ボーイッシュな髪型の「ヘプバーン・カット」、
細身のスラックスの「ヘプバーン・スタイル」が大流行した。
(映画)第28回アカデミー賞 「マーティ」(アーネスト・ボーグナイン)
「エデンの東」「慕情」「スタア誕生」「ショウほど素敵な商売はない」「旅情」
日活「警察日記」(森繁久彌、三国連太郎、二木てるみ、杉村春子、東野英治郎)日活「緑はるかに」(浅丘ルリ子、フランキー堺、北原三枝)日活「あした来る人」(月丘夢路、三橋達也、山村聡、三国連太郎、新珠三千代)日活「銀座二十四帖」(月丘夢路、三橋達也、北原三枝、浅丘ルリ子、芦田伸介)日活「乳房よ永遠なれ」(月丘夢路、川崎弘子、森雅之、田中絹代)
日活「力道山物語 怒涛の男」日活「女中ッ子」(左幸子、佐野周二、轟夕起子)東映「笛吹若武者」(大川橋蔵、美空ひばり)東映「血槍富士」(片岡千恵蔵、島田照夫、加東大介、月形龍之介)松竹「野菊の如き君なりき」(田中晋二、有田紀子、杉村春子)大映「婦系図 湯島の白梅」(山本富士子、鶴田浩二、森雅之、杉村春子、加東大介)大映「新・平家物語」(市川雷蔵、久我美子、林成年、木暮実千代)
大映「楊貴妃」(京マチ子、森雅之、南田洋子、霧立のぼる、杉村春子)新東宝「たそがれ酒場」(小杉勇、小野比呂志、宮原卓也、津島恵子、野添ひとみ)東宝「浮雲」(高峰秀子、森雅之、岡田茉莉子、山形勲)東宝「夫婦善哉」(森繁久彌、淡島千景)東宝「男ありて」(志村喬、夏川静江、岡田茉莉子、三船敏郎、藤木悠、加東大介)東宝「ジャンケン娘」(江利チエミ、美空ひばり、雪村いづみ)東宝「ゴジラの逆襲」(小泉博、若山セツ子、志村喬)
(音楽)月がとっても青いから(菅原都々子)別れの一本杉(春日八郎)Rock Around the Clock(Bill Haley)
(テレビ)NHK「追跡」(二本柳寛、芦田伸介、安部徹、小泉博)NHK「私の秘密」(高橋圭三)NHK「第6回紅白歌合戦」(司会 白組、高橋圭三、紅組、宮田輝)NHK「ゆく年くる年」NTV「エノケンのアラビアンナイト」(榎本健一、川上正雄、桜京美)NTV「轟先生」(古川ロッパ)KRT「日真名氏飛び出す」(久松保夫、高原駿雄)KRT「サザエさん」(高杉妙子、昔々亭桃太郎、池田よしえ)KRT「オールスター歌合戦」(有島一郎、堺駿二、灰田勝彦、美空ひばり、笠置シヅ子)
(スポーツ)10/12金田正一投手、1シーズン340奪三振の新記録。
(流行語)「事実は小説よりも奇なりと申しまして」(高橋圭三)「兵隊の位で言うと」(山下清)
(ファッション)映画「エデンの東」がヒットし、女性の髪型にポニースタイル流行。
(社会)01/07クラウン発売、98万円(トヨタ)05/27ヘレン・ケラー来日。 07/09後楽園ゆうえんち開園。07/17ロサンゼルス郊外に「大人も楽しい遊園地」ディズニーランドがオープン。08/07日本初のトランジスタラジオTR55発売。18900円(東京通信工業/ソニー)
08/24森永砒素ミルク事件。11/03船橋ヘルスセンター開業。11/15自由民主党が発足。11/28朝日新聞「プロレスごっこはやめましょう」(力道山より)が掲載。
(物価)封書10円、はがき5円。公務員初任給8,900円。14型白黒TV99,500円。お米5キロ109円。映画館133円。
(その他)02/25 高峰秀子(30)と松山善三が婚約。04/05 池内淳子(22)新東宝「皇太子の花嫁」でデビュー。05/08 浅丘ルリ子(15)日活「緑はるかに」でデビュー。05/25 初版「広辞苑」発売(岩波書店)
06/01 クレイジーキャッツ結成。06/07 鰐淵晴子(10)新東宝「ノンちゃん雲に乗る」でデビュー。07/15 トニー谷の長男誘拐。08/07 丘さとみ(19)東映「御存じ快傑黒頭巾 新選組追撃」でデビュー。09/30 ジェームス・ディーン(24)自動車事故で死去。
12/04 大川橋蔵(26)東映「笛吹若武者」でデビュー。サザエさん(ニッポン放送)「明るいナショナル」(松下電器産業)「クシャミ3回ルル3錠」(三共)「なかよし」(講談社)「りぼん」(集英社)「ぼくら」(講談社)折りたたみ傘「アイデアル」(丸定商品)
「ぺんてるくれよん」(大日本文具)1粒で2度おいしい「アーモンドグリコ」(江崎グリコ)前田のクラッカー(前田製菓)
前谷惟光「ロボット三等兵」(寿書房) 名糖ホームランバー(協同乳業)10円 「サンケイスポーツ」創刊(産業経済新聞社)総合感冒薬「ベンザ」(武田薬品工業)石原慎太郎「太陽の季節」芥川賞受賞
Love is a many splendored thing(Matt Monro)1955年 アカデミー歌曲賞受賞作品
慕情(Love is a Many Splendored Thing)1955年(米) 1949年の香港。中英混血の女医ハン(ジョーンズ)は、夫を戦争で亡くし失意の日々を送っていた。 ある日、彼女はパーティでアメリカの従軍記者マーク(ホールデン)と知り合う。すぐに二人は惹かれ合い、 激しい恋に落ちる。しかし、間もなく朝鮮戦争が勃発、マークは戦地へと派遣されてしまう。 香港を舞台とした悲恋物語で、マット・モンローによる甘美な主題歌と相まって、人々の心を捉え、恋愛映画の スタンダードとなった。ヒロインの衣装の優雅な着こなしも話題となり、欧米でチャイナドレスが大流行した。 (監督)ヘンリー・キング(HENRY KING) (出演)ジェニファー・ジョーンズ(JENNIFER JONES)ウィリアム・ホールデン(WILLIAM HOLDEN) (主題歌)慕情(Love is a Many Splendored Thing) |
エデンの東(East of Eden)1955年(米) 24歳のキャル(ディーン)は、農場を営む父が兄ばかり可愛がっていると感じていた。父の信頼を得ようと 懸命に仕事を手助けしたが、結果は裏目に。キャルは、兄に対する嫉妬と憎悪が募るばかりだった。 劣等感や嫉妬といった人間の負の感情をテーマにした作品。こうした負の感情は、人を行動に駆り立てる 強力な情感だが、一歩間違うと破滅へと突き進んでしまう。 自分を認めてもらえない事からくる劣等感や兄に対する嫉妬が、行き場のない苛立ちとなって反抗を 繰り返す。こうしたスタイルが当時の大人たちに衝撃を与え、かつ同世代の若者たちの共感を得た。 (監督)エリア・カザン(Elia Kazan) (出演)ジェームズ・ディーン(James Dean)ジュリー・ハリス(Julie Harris) |
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(East of Eden) |
氷冷蔵庫
電気冷蔵庫が家庭用として普及しだしたのは、昭和30年頃からである。
だが一般の家庭にはまだ高値の花で、簡単に買えるものではなかった。
そのため多くの家では、木製の氷冷蔵庫を使っていた。
電気を使わず、氷を入れることで食物を冷やすという原始的な冷却方法だった。
上段にある氷室に氷のブロックを置き、その冷気で下段に置いた食物や
飲み物などを冷やす。氷8キロで一日冷やすことができた。
氷屋は、朝早く製氷所から氷のブロックを仕入れ、各家庭を回った。
自転車やリヤカーで氷を運び、鋸で適宜な大きさに切って販売した。
氷売りは季節仕事であり、燃料屋が夏の間だけ氷を売ることも多く、
冬は木炭などを売って回っていた。
昭和30年代には、全国で一万軒の氷屋がいたが、昭和45年になると、
ほとんどの家庭に電気冷蔵庫が普及し、氷屋は失業せざるを得なかった。
日真名氏飛び出す
日真名真介(久松保夫)は、グラビア雑誌などの写真を請け負うカメラマンである。
彼は、東京・銀座でフォトニュース社を経営する実業家でもある。
だが最近では、依頼を受けて出かける撮影現場では、必ず事件に遭遇してしまう。
そんなときは、やむなく探偵もどきの冒険に身を投じるハメになるのだった。
街頭テレビが登場した頃、マドロスパイプをくわえたダンディなヒーローが現れた。
西部劇の吹き替えで知られる「久松保夫」が扮する素人探偵の「日真名氏」である。
タイトル通り、暇を持て余すカメラマン日真名真介と、ズッコケ助手の泡手大作の
コンビが、いろいろな事件をさばいていくという探偵ドラマ。
本作は、久松演じる日真名氏の明るいキャラクターが受け、推理小説ブームを背景に
人気を高め、平均40%前後の高視聴率を記録するヒット作となった。
日真名氏の会社の近くに、スポンサーである三共ドラッグストアがある。
ここに日真名氏と助手が、毎回必ず一度は訪れてナゾ解きを始め、三共の栄養ドリンク
を飲む、という内容の生コマーシャルが行われた。
久松は西部劇「ララミー牧場」に登場する主役・ジェス(ロバート・フラー)の
吹き替えもやっていた。
そのフラーが、1961年(昭和36年)4月に来日したときに、この番組のスタジオを訪問。
ドラックストアの客として、飛び入り出演してファンを喜ばせた。
轟先生
轟小助は実力学園中学の数学の教師である。
威厳にみちた頑固先生だが、決して厳しいばかりでなく、
明朗な人情家でもある。
また生徒思いなので、学内での人気はかなり高い。
だが、安月給なのが悩みのタネ。
家には老妻のテル子、息子の君太郎、娘のハツ子、娘婿のミツル、
孫のワタル、そして愛犬のテレビジョンがいる。
1949年「読売新聞」に連載された四コマ漫画のドラマ化で、
月曜から土曜の帯編成(21時〜21時05分)だった。
ヒゲとハゲがトレードマークの轟先生に古川ロッパが扮し、
ペーソス溢れる演技で好評を博した。
ロッパは、声帯模写出身のコメディアンで、当時の喜劇の第一人者であった。
追跡
警視庁捜査課の春日(安部徹)は、部下の三沢(小泉博)と共に砂糖の密輸組織を追っていた。
密輸の一味は神出鬼没で、東京に現われるかと思うと、大阪に現われる。
警視庁は今回、東京と大阪に「密輸対策課」を新設した。捜査態勢を強化して税関や
海上保安庁との連携を進め、密輸品の侵入を水際で食い止める狙いだった。
やがて捜査線上に、ダディエ・早川(二本柳寛)という一味のボスの名前が挙がったが、
それ以上のことは不明であった。
東京、大阪をまたにかけて暗躍する密輸団を刑事が追い詰めるというドキュメンタリータッチのドラマ。
密輸団のボスに扮したのが二本柳寛、その手下に芦田伸介、それを追う刑事に小泉博、上司の課長には
安部徹、大阪府警の警部に原聖四郎らの出演であった。
東京、大阪のスタジオと月島、道頓堀の計四か所を結び、一つのスタジオドラマのように制作したもので、
これに要したカメラは11台、スタッフ総勢295人という大掛かりなものとなった。
この四つの離れた場所を同時に結ぶ生中継の手法は、ドラマでは初めての試みであり、テレビの特質
である同時性を生かしたものとして話題になった。
しかし生中継ゆえに、本番ではやはり不測の事態が相次いでてんやわんやに。
大阪の道頓堀のロケでは、わずか三分という犯人と警官との格闘シーンがあった。
だが、いざ本番というところで、見物客がワッと押しかけて大騒ぎに。
警官役の俳優たちが整理にあたって、何とかこのピンチを切り抜けたという。
私の秘密
司会・高橋圭三の「事実は小説よりも奇なりと申しまして」
ではじまる、テレビ初期の代表的クイズ番組。
珍しい体験や特別な才能など、ある「秘密」を持った一般人が登場し、
著名人の解答者たちが、その秘密を四分間の間に推理するというもの。
会場の参加者にはビラで、視聴者には陰の声で、秘密の答えを知らせた。
指紋のない人や、名前が「元旦」という青年などが登場。
その意外性が視聴者に受けて、12年間続く人気長寿番組となった。
番組の最後には、ゲスト解答者にゆかりの人物を登場させる「こ対面コーナー」
もあり、戦争を経ての再会など、茶の間の感動と共感を誘った。
ロボット三等兵
昭和30年代は、紙芝居の衰退に伴い、貸本屋の漫画がもてはやされるようになった。
「ロボット三等兵」は、貸本漫画で人気を博した前谷惟光の作品(寿書房刊)
内容は、戦時中の日本陸軍を舞台に、架空の軍人として入隊したブリキ人形のような
オンボロのロボットが巻き起こす騒動を描いたコメディ漫画。
作者の前谷氏は、太平洋戦争で中国、ビルマなどを転戦し、復員後に漫画家に転身、
主人公の「いやなことをいうね」「へんなやつだね」といった常套句が人気で、自身の戦争体験を元に、
戦争の馬鹿馬鹿しさや不条理さをコミカルに描いている。
本作は、メンコの絵柄に登場したり、プラモデルが発売されたりと、当時の子供たちに大人気だった。
元祖三人娘
この年11月、東宝映画「ジャンケン娘」で、美空ひばり、雪村いづみ、江利チエミ
の元祖「三人娘」が共演。
いわば通俗アイドル映画というべき作品だったが、ひばり・いづみ・チエミという
人気スターの共演ということで大ヒット、若い世代の観客動員には成功した。
映画はシリーズ化され、翌年1956年は「ロマンス娘」1957年は「大当り三色娘」が
制作された。
「大当り三色娘」(左から、雪村いづみ、美空ひばり、江利チエミ)
太陽の季節 (石原慎太郎)
昭和30年代は、戦後の混乱した世相も落ち着きを取り戻し、白黒テレビや電気洗濯機が
普及し始め、各家庭に「モノ」が行き渡っていく時代だった。
新築の団地に入居し、明るい電灯がともされた居間で家族そろってテレビを見る、
そういった物質的充足が幸福感を満たす、ある意味で幸せな時代であった。
昭和30年は、マンボブームや、街頭TVでプロレスの空手チョップが流行し、
子供達の中でプロレスごっこが流行した年でもあった。
その同じ年の夏に、石原慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞を受賞して話題を呼び、
31年度のベストセラーのトップを切ると、まず日活が映画化して大成功。
続いて大映が「処刑の部屋」、東宝は「日蝕の夏」と石原作品の競作が続いた。
タフ・ガイ石原裕次郎が登場し、慎太郎刈りで奔放に行動する「太陽族」も誕生した。
「太陽の季節」は、無秩序な青春を送る高校生の恋愛を描いた小説である。
この小説は、石原慎太郎が一橋大学在学中に発表し、芥川賞を受賞したことで、
立ちどころに世間の注目を浴びた作品であった。
といって、それはかならずしも作品がすぐれていたからではなく、作中人物の
倫理性に欠ける生き様が、社会的に騒然たる非難の嵐を捲き起こしたのである。
石原慎太郎は一躍流行作家になったが、それに腹をたてた人々は、彼が光栄ある芥川賞
を受けたことを不思議に思い、自分たちは時代遅れなのだろうかと思ったりした。
当時、芥川賞の選考委員の一人であった作家・石川達三は、次のように講評している。
「芥川賞は完成した作品に贈られるものではなく、
すぐれた素質をもつ新人に贈られるものだと私は解釈している」
終戦から、さほど年月の経過していない、まだ人々は貧しく封建的な風潮が残っていた
時期に生まれた、まさに時代を画するような刺激的な作品であった。
まだ倫理観や古い道徳観に縛られた人が大勢いた当時、現代社会にも通じる無軌道な
若者を赤裸々に描き出したこの作品は、やはり先見の明があったといえるのだろう。