6月25日   タイムカプセル(8)昭和37年 (1962年)   タイム・カプセル
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この年、プロレスをテレビで観戦していた、76歳の老人が、ブラッシーにかみつかれて出血するグレート東郷を見て、

心臓マヒで死亡するという事故が起こった。

さらに、興奮のあまり6名の老人がショック死し、社会問題化するほどの騒ぎとなった。


(映画)第35回アカデミー賞 「アラビアのロレンス」

「101匹わんちゃん大行進」「駅馬車」「ブルー・ハワイ」「怒りの葡萄」「チコと鮫」「ニュルンベルク裁判

日活「銀座の恋の物語」(石原裕次郎浅丘ルリ子)日活「キューポラのある街」(吉永小百合、浜田光夫)日活「若い人」(石原裕次郎吉永小百合浅丘ルリ子)東映「天下の御意見番」(月形龍之介市川右太衛門片岡千恵蔵北大路欣也丘さとみ松方弘樹

東映「お坊主天狗」(片岡千恵蔵、大川橋蔵美空ひばり三島雅夫山形勲進藤英太郎)東映「王将」(三国連太郎淡島千景、三田佳子、平幹二朗)松竹「秋刀魚の味」(岩下志麻笠智衆佐田啓二岡田茉莉子杉村春子

松竹「切腹」(仲代達矢、岩下志麻、石浜朗、三国連太郎、丹波哲郎)大映「婦系図」(市川雷蔵万里昌代)大映「しとやかな獣」(若尾文子、伊藤雄之助、山岡久乃)大映「座頭市物語」勝新太郎、万里昌代、天知茂

大映「瘋癲老人日記」(若尾文子、山村聡、東山千栄子、川崎敬三)東宝「女の座」(高峰秀子、笠智衆、杉村春子、小林桂樹淡路恵子司葉子星由里子宝田明)東宝「箱根山」(加山雄三星由里子


(音楽)第4回レコード大賞「いつでも夢を」 (橋幸夫/吉永小百合

「王将」(村田英雄)「可愛いベイビー」(中尾ミエ)「赤いハンカチ」(石原裕次郎)「下町の太陽」(倍賞千恵子)「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)「星屑の町」(三橋美智也)「Love Me Do」(The Beatles)「Days of Wine and Roses」(酒とバラの日々)Henry Mancini「
The Loco-Motion」(Little Eva)



(テレビ)NTV「アベック歌合戦」(トニー谷)TBS「てなもんや三度笠」(藤田まこと、白木みのる、南利明、京唄子、鳳啓助)TBS「コンバット!」NET「
白鳥の騎士」(沢村精四郎、関みどり)NET「ディック・トレイシー」TBS「隠密剣士」(大瀬康一)TBS「ベン・ケーシー」NET「判決」(佐分利信、仲谷昇、河内桃子)フジ「ミスター・エド」(三遊亭金馬、柳沢真一)



                                                     




(流行語)スカッとさわやか(コカコーラ)ハイそれまでよ。あたりまえだのクラッカー。総会屋。当たり屋。あなたのお名前なんてぇの?

(スポーツ)09/05金田正一(国鉄)、三振奪取世界新記録達成(3514個)。10/10ファイティング原田、ボクシング世界フライ級チャンピオンとなる。

(社会)02/01東京の人口1,000万人突破、世界最初の1,000万都市に。02/20ソ連に続き、米も有人宇宙飛行に成功。08/05南アフリカ政府、黒人解放運動指導者ネルソン・マンデラを逮捕。08/05米女優マリリン・モンロー急死(36)。

08/12堀江謙一、小型ヨット「マーメイド号」で日本人初の太平洋横断に成功。10/22米ケネディ大統領、キューバにソ連ミサイル基地建設中と発表、キューバ海上封鎖を声明(キューバ危機)。10/28ソ連、キューバのミサイル撤去を通告。11/20米、キューバ海上封鎖を解除。

(物故)大河内伝次郎マリリン・モンロー、柳田国男、吉川英治

(物価)お米5キロ98円。映画館160円。少年マガジン40円、ラーメン50円。公務員初任給15700円。一般労働者平均給与22800円。

(その他)美空ひばり(25)と小林旭(24)結婚。デヴイ夫人、スカルノ(インドネシア大統領)と結婚。勝新太郎(31)と中村玉緒(23)結婚。吉永小百合(17歳)、「キューポラのある街」でブルーリボン賞主演女優賞。高田美和、大映「青葉城の鬼」でデビュー。「新三人娘」の中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりがデビュー。園まり「かじやのルンバ」で歌手デビュー。高橋圭三アナ、NHKをやめ、民放ヘ。

東京都・世界初の人口1000万人都市に。テレビ受信契約 1,000万を突破。サリドマイド系睡眠薬問題化。ツイストブーム 、マーブルチョコ 、かっぱえびせん、ダイヤブロック(河田)日産自動車「フェアレディ」発売。男性整髪料「バイタリス」(ライオン)リポビタンD(大正製薬)かあちゃんいっぱいやっか(伴淳三郎)長生きしたけりゃちょっとおいで、チョチョンノパ(船橋ヘルスセンター)徳川家康(山岡荘八)野生のエルザ(アダムソン)週刊少女フレンド(講談社)赤塚不二夫「おそ松くん」(少年サンデー)「ひみつのアッコちゃん」(りぼん)週刊TVガイド創刊(8.4 東京ニュース通信社)



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             The Loco-Motion (Little Eva)

       
  Everybody's doin' a brand new dance, now (Come on baby, do the Loco-motion)
I know you'll get to like it if you give it a chance now (Come on baby, do the Loco-motion)

My little baby sister can do it with me It's easier than learning your A-B-C's
So come on, come on, do the Loco-motion with me You gotta swing your hips, now, come on, baby

Jump up, jump back, well, now, I think you've got the knack
 
   







    



白鳥の騎士


時は室町時代、幕府は将軍の権力を笠に私利私欲を貪っていた。

だが、京の都に夜毎跳梁する悪鬼の如き野盗に対して何の対策も示さなかった。


一方、その野盗の暴力に抗い、神出鬼没の活躍で戦う者がいた。

それは白一色の衣装に白弓・白羽の矢を持つ「白鳥の騎士」その人であった。




本作品は、北村寿夫原作の冒険活劇「新諸国物語」の一篇。

1952年(昭和27年)4月1日から放送の始まった NHK連続ラジオドラマ「新諸国物語」は、

当時の少年少女を大いに魅了した。



「新諸国物語」は、第1部「白鳥の騎士」、第2部「笛吹童子」と続く全5部作であり、
北村寿夫原作、福田蘭童の音楽による大ロマンのラジオドラマだった。


1962年(昭和37年)テレビドラマ化された本作品は、馬を駆って颯爽と現れ、
矢を放つ白装束の白鳥の騎士が活躍する勧善懲悪の時代劇ドラマである。


世間を攪乱させ幕府を乗っ取ろうとする野盗たちに、敢然と戦いを挑む白鳥の騎士の姿は
「鞍馬天狗」を髣髴とさせ、華麗な殺陣と迫力に満ちた時代活劇に仕上がっている。













ダルマストーブ


ダルマストーブは、明治から昭和にかけて使われた鋳鉄製の丸型ストーブ。


冬には大型のダルマストーブが駅の待合室や学校の教室などで使用され、
石炭、コークスが焚かれていた。


昭和30年代までは、小中学校でダルマストーブが用いられ、日直の児童は朝登校すると、
学校の倉庫に積んであるコークスを台車で運び、火を起こすのが日課だった。

ダルマストーブの近くの席だと、顔が真っ赤になって頭がボーッとするが、
反対に離れた席だと、寒くてふるえていた。





ストーブの上には大きなやかんが乗せてあり、給食の牛乳瓶を入れてお燗にして飲んだり、
食パンをストーブに押し当ててトーストにしたりした。


そんなほのぼのとした思い出のあるダルマストーブだったが、昭和40年以降は、
徐々にガスや石油ストーブに置き換わり、姿を消してしまった。 










     



アベック歌合戦


トニー谷が拍子木のリズムにのって「あなたのお名前なんてえの」と

軽妙に司会する「アベック歌合戦」(NTV系)は、視聴者参加の歌番組。


人気は高かったが、お世辞にも品のいい番組とは言えず、当時発足したばかりの

放送番組向上委員会から「白痴低俗番組」としてヤリ玉に上げられてしまった。













フレッド・ブラッシー (Fred Blassie)


1960年代から70年代、プロレスは社会の関心事であった。

タイトルマッチがあれば、翌日の学校や職場はその話題で持ち切りだった。

試合を観なければ話についていけず、学生やサラリーマンにとって
プロレスの知識は必須だった。


力道山や馬場、猪木が活躍していたこの時代には、必ずヒール(悪役)のレスラーがいた。

1962年、力道山の敵役として登場したのが「噛みつき魔」ブラッシーである。

額に噛みつくという究極の反則技で、力道山の顔を真っ赤に染めた。

現代では間違いなく放送事故となってしまう噛みつき攻撃は、お茶の間を震撼させ、
テレビで観ていた高齢者が、次々にショック死するという事件まで引き起こした。





「老人がショック死したって? そうか、俺はアメリカで何十人もの年寄りの心臓を
止めているが、今回はそれほど死者が出ていないようで残念だ」

マスコミ関係者の前で、平然とそう言い放つ残酷な男ブラッシー。


しかしその素顔は、相当な親日家で日本人の女性を妻に持つ紳士だった。

リングの上では悪役を貫いていたが、内心ショック死事件に心を痛めていた
ブラッシーは、マスコミのカメラの前を離れた後、そっと黙祷していたという。

悪役レスラーは、基本的に皆良い人が多いと言われるが、彼はその典型である。


ブラッシーは日本で、1962年から10年間活躍し、その後アメリカに帰国し引退。

引退後、亡くなった力道山のコメントを求められた時は「あいつは地獄に落ちた」
と答えた。最後まで悪役の鏡であった。









   



てなもんや三度笠


あんかけの時次郎(藤田まこと)珍念(白木みのる)のコンビが珍道中をくりひろげる時代劇コメディ。

毎回、当時の人気タレントたちがゲストとして行く先々の登場人物を務め、
藤田・白木のてなもんやコンビと軽妙なやりとりを見せた。


ABCホール(大阪中之島)での公開録画番組で、一発本番の生収録で行われた。

当時はまだ脇役的存在だった藤田まこと主演であったため、関西の大物タレントを動員できず、
東京の大物ゲストを多数登場させ、東西融合の布石となった。


商品名とかけた「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」や、財津一郎の
「許して…チョーダイ!!」などの流行語が生まれた。

関西で60%という驚異的な視聴率をあげ、上方コメディーの決定版としてテレビ史に残る番組となった。












デヴィ・スカルノ (Dewi Sukarno)


日本では「デヴィ夫人」と呼ばれている。

本名は根本七保子(ねもとなおこ)
19歳の時、昼は保険会社、夜は赤坂のバーでホステスをしていた。

あるとき七保子は、スカルノと出会った。
彼は、日本を公式訪問していたインドネシアの大統領であった。

この運命的な出会いは、彼女の人生を大きく変えることになった。


地味な出で立ちながら、天性の美貌を持つ彼女は、スカルノが、一目見て惚れ込むほど魅惑的だった。
1962年にインドネシアで結婚した。スカルノはこの時61歳だった。



この結婚には、政治的な意味あいもあった。

当時、日本女性と結婚することは、著名な政治家にとっては不可能なことであった。
それは戦時中のインドネシア人に対する、日本軍の野蛮な振る舞いのためだった。


しかし、スカルノはインドネシア独立の英雄であり、多くのインドネシア国民が
二人の結婚を心から祝福した。

二人は日本とインドネシアとの間に強い絆を築いたのである。












スパーク三人娘


この年6月、中尾ミエ(17歳)が「可愛いベビー」でデビュー。

同じころ、伊東ゆかり(16歳)、園まり(19歳)がデビュー。

渡辺プロの「スパーク三人娘」として売り出され、
翌年には、主演映画「ハイハイ三人娘」が制作された。

一方、コロコロ太った弘田三枝子(15歳)も前年にデビュー。

こうしたティーン歌手の続出に「ミルクティーン歌手」
という呼び名がつけられた。

(左から、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり)














隠密剣士


隠密剣士こと秋草新太郎(大瀬康一)が、時の老中・松平伊豆守の密命を受け、

松前藩など諸国の内情を探るために旅に出るという時代劇。


この時期、少年漫画雑誌に、白土三平の「サスケ」や、横山光輝の「伊賀の影丸」が

連載され、子供たちの間で忍者がブームになっていた。

本作「隠密剣士」も、子供向けにターゲットをしぼり、途中で忍者を登場させたところ、

子供たちに大受けとなり、大瀬は前作「月光仮面」とともにチビッコのヒーローに。




刀を逆手に持つ構えや、卍型手裏剣など、忍者のイメージは、この作品から生まれたという。


また味方の忍者・霧の遁兵衛は、主人公以上の人気を獲得し、演じた牧冬吉は「善玉の忍者」

というイメージが定着、1967年「仮面の忍者・赤影」でも、伊賀忍者・白影を演じている。


本作は海外でも放映されたが、特にオーストラリアでは大ヒットし、視聴率40%を超える

国民的番組となった。


主演の大瀬康一は現地に招待され、7000人ものファンが押し寄せた。

これはビートルズ公演よりも多かったのだという。


本作をきっかけに海外でのニンジャブームが始まったのである。












         



ベン・ケーシー


脳外科医のベン・ケーシーは、腕は超一流だが 一本気で時に上司や同僚、患者たちとも衝突。


そんな彼を温かく見守るのが、大先輩のゾーバ博士や、同僚で女医のマギー・グラハムだった。

マギーとは互いに引かれあう仲だったが、恋よりも仕事一筋に打ち込むケーシーであった。


ある日、唯一の身寄りだった祖母が亡くなり、病院に保護された少女の脳に、腫瘍が見つかる。

ケーシーの手術により、彼女の命は助かったが、代わりに視力を失ってしまった。




脳神経外科医の主人公が、医師としての良心をかけて、病院内で起こる様々な問題に立ち向かい、

解決してゆく姿を描いたメディカル・ヒューマン・ドラマ。


主演のビンセント・エドワーズのややセンチメンタルな顔立ち、独善的といえるほど確信に満ち、

場合によっては、看護婦を怒鳴りつける。そんな彼に、女性を中心に人気が沸騰した。


ついには、彼が医師のお手本のように扱われるようになるものの、一部の男性の視聴者には、

彼の傲慢さが不評を買ってしまった。


本作は、最高視聴率50.6%を記録するなど大ヒット作となり、本作をきっかけに「白い巨塔」など、

医療ドラマのブームが巻き起こった。










         



ミスター・エド


新婚のウィルバー夫妻は、郊外の広い家を安く買って引っ越した。

すると、前の家主が裏庭の納屋に馬を置いていったことに気づく。


妻のキャロルは、その馬を売ろうと勧めたが、夫のウィルバーが、

ぜひ飼いたいと言ったので、エドと名づけ、飼育することになった。


ある日、ウィルバーが納屋にいると、突然エドに話しかけられる。

なんとエドは、人間の言葉を話せる天才馬だったのだ。



本作は、栗毛馬のエドと飼い主が喋ると言う設定のコメディードラマ。


ところがエドは、なぜか飼い主ウィルバーにしか絶対喋らず、それでしょっちゅう

「馬が喋るわけがない」と周りの人たちから、変人扱いされてしまうのだった。

そんな飼い主の困った顔を楽しむエドのジョークたっぷりのお喋りが面白かった。


また「馬がしゃべる そんな馬鹿な〜」というセリフで始まる主題歌も話題になった。

歌っていたのは、当時子供向け番組の声優として活躍していた黒柳徹子女史だった。










     



コンバット!


第二次大戦末期の1944年初夏、当時のフランスは、ドイツ軍の占領下にあった。

フランス国内では、愛国的な市民たちが、ドイツに対するレジスタンスを繰り広げていた。


同年6月、米軍を主力とする連合軍のフランス奪還作戦が始まろうとしていた。


作戦は、イギリス本土から歩兵部隊の大軍がドーバー海峡を渡り、フランスの

ノルマンディー海岸に上陸、ドイツ軍を制圧するというものだった。


上陸作戦直前のイギリス基地。作戦がいつ決行されるかわからない独特の緊張感の中で、

賭けポーカーに興じ、喧嘩に明け暮れ、また一方、教会で神聖な時を過ごす兵士たち。


いよいよ上陸作戦が始まった。米軍のヘンリー曹長は、サンダース軍曹をはじめとする

歩兵第1分隊を率いて、上陸用舟艇へ乗り込み、ノルマンディーへと向かう。

しかし、上陸地点で戦車を含む強力なドイツ軍に遭遇、激しい銃弾の嵐を受けてしまう。




第二次大戦下のヨーロッパ戦線を舞台に、ヘンリー曹長(リック・ジェイスン)率いる

陸軍歩兵小隊が、様々な苦難と危機を突破して、使命を遂行していく姿が描かれる。


インテリで理論派の曹長を、実戦で鍛え上げたサンダース軍曹(ビック・モロー)が

支えるという二人の人間ドラマが斬新で印象に残る。

本作は、1962年から5年間に渡り、全152話が放映され、異例のヒットを記録した名作である。












     



ディック・トレイシー


悪の華が咲き誇る1930年代の大都会。

街は情け無用のギャングのコンビ、ホシガキーとボリバリーに牛耳られていた。

正義を守る男ディック・トレイシーは日夜悪と戦っていたが、中でもこの二人は彼の宿敵だった…。




人気アメコミ作品のテレビアニメ化。

舞台は、禁酒法が解禁されたばかりのアメリカのとある街。

主人公のディック・トレイシーは、犯罪捜査班を指揮する主任警部。


彼は正義感の強いタフガイだが、性格はシャイで心優しい面もある。


事件が発生すると、彼が腕時計型の無線装置で配下の警部たちと連絡を取りつつ、

ギャングたちの悪事を食い止めて、逮捕する様子が面白おかしく描かれる。













判決


岡崎弁護士(佐分利信)が所長をつとめる雨宮弁護士事務所に弁護の依頼があった。


依頼内容は、料理屋で働く仲居が、自分に売春をさせて酒に溺れる父親を
思い余って殺してしまった、という尊属殺人案件である。


法廷で、井上弁護士(河内桃子)は、この父親の非道の数々を立証した上で
被告人の罪に情状酌量を求める。


この当時、尊属殺人は、刑法200条で死刑か無期懲役と定められていた。



普通の殺人であれば、執行猶予も期待できるのに、なぜ尊属殺人には、
それが許されないのか。


これは憲法14条に定める「人は法の下に平等」に違反するのではないか、
というのが弁護側の主張であった。



法律事務所を舞台にして、実際の裁判記録をもとに制作した社会派ドラマ。


佐分利信、仲谷昇、河内桃子、沢村忠雄の4人の弁護士が、裁判で直面した
社会問題や、矛盾を正面から掘り下げていくというストーリー。

憲法問題、差別問題、遺産相続など、シリアスなテーマが取り上げられた。


1960年代は、ドラマが社会矛盾を厳しく告発した時代であった。

それに伴って、そういった言論・表現を偏向とみなす圧力が強まり。
放送中止となる番組が相次いだ。


本作「判決」も、法制度の不備を厳しく問う内容が問題視され、
幾つもの作品にクレームがつき、放送中止に追い込まれた。


1965年の教科書検定制度を真っ向から問う作品の中で、旧日本軍の
中国への「侵略」か「進出」かをめぐる一節もクレームの対象となった。


こうした上層部の圧力に抗しきれず「判決」は、1966年8月10日を最後に
放送200回で幕を閉じた。


本作は、弁護士の苦悩と活躍だけでなく、被告人の心理まで鋭く描いた
社会派ドラマの元祖とされている。










     



船橋ヘルスセンター


船橋ヘルスセンターのCMソング「長生きチョンパ」は、素朴なアニメで展開され、

思い切り羽根を伸ばすのびやかさがにじみ出ているコマソンだった。


「長生きしたけりゃチョトおいで チョチョンのパ チョチョンのパ」

三木鶏郎が作詞作曲したこの歌は、当時は大人も子供も歌っていた。



船橋ヘルスセンターは、1955年(昭和30年)千葉県船橋市で開業。

海岸沿いに作られた入浴と娯楽がセットになったレジャー施設。


大浴場と舞台演芸を楽しめる大広間が売り物。

折からの観光ブームもあって団体客がバスで繰り込んだ。

熱海、箱根よりも「近くて安い」が人気の秘密だった。


その後、地盤沈下が深刻となり、1977年(昭和52年)閉鎖を余儀なくされた。

船橋ヘルスセンターの跡地は「ららぽーと」になっている。