6月7日   タイムカプセル(5)昭和34年(1959年)    タイム・カプセル
直線上に配置


この年、皇太子(平成天皇)ご成婚パレードがテレビ中継された。

ご成婚の直前に、テレビ受像機の購入者が一気に増加、テレビの普及は200万台を突破した。


(映画)第32回アカデミー「ベン・ハー」

リオ・ブラボー」「大いなる西部」「北北西に進路をとれ」「お熱いのがお好き」「アンネの日記」「南太平洋」(ロッサノ・ブラッツィミッチー・ゲイナー

松竹「人間の条件」(仲代達矢新珠三千代淡島千景佐田啓二)松竹「お早よう」(佐田啓二、久我美子笠智衆杉村春子東野英治郎)東宝「私は貝になりたい」(フランキー堺、新珠三千代、水野久美、笠智衆)東宝「グラマ島の誘惑」(森繁久彌フランキー堺轟夕起子

東宝「すずかけの散歩道」(司葉子津島恵子森雅之星由里子笠智衆)東映「新吾十番勝負」(大川橋蔵長谷川裕見子大河内伝次郎月形龍之介桜町弘子) 東映「浪花の恋の物語」(中村錦之助有馬稲子)東映「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」(片岡千恵蔵、中村錦之助、大川恵子、進藤英太郎、東千代之介、大川橋蔵、市川右太衛門

東映「水戸黄門 天下の副将軍」(月形龍之介、東千代之介、里見浩太郎、中村錦之助)日活「にあんちゃん」(長門裕之)日活「ギターを持った渡り鳥」(小林旭、金子信雄、宍戸錠、浅丘ルリ子)大映「浮草」(中村鴈治郎、京マチ子若尾文子、、川口浩、杉村春子、野添ひとみ、笠智衆)大映「美貌に罪あり」(杉村春子、山本富士子、若尾文子、川口浩、野添ひとみ、川崎敬三、勝新太郎)大映「」(京マチ子、中村鴈治郎、仲代達矢)大映「野火」(船越英二、ミッキー・カーチス、滝沢修)新東宝「荷車の歌」(望月優子、三国連太郎左幸子水戸光子


(音楽)第1回レコード大賞「黒い花びら」(水原 弘)

東京ナイトクラブ(フランク永井/松尾和子)
ザ・ピーナッツ「可愛い花」でデビュー。「情熱の花」(ザ・ピーナッツ)「人恋酒」(美空ひばり)「僕は泣いちっち」(守屋浩)「浅草姉妹」こまどり姉妹)「南国土佐を後にして」(ペギー葉山)

(テレビ)フジ「スター千一夜」(高橋忠雄)フジ「おとなの漫画」(クレージーキャッツ)フジ「ザ・ヒットパレード」(ザ・ピーナッツ)フジ「少年ジェット」(中島裕史、高田宗彦)フジ「実写版・鉄腕アトム」(瀬川雅人)フジ「拳銃無宿」(スティーブ・マックイーン)フジ「ペリー・メイスン」NET「七色仮面」(波島進・千葉真一 )NET「デン助劇場」(大宮敏充)

NET「番頭はんと丁稚どん」(茶川一郎、大村崑、芦屋小雁)YTV「とんま天狗」(大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁)NET「ローハイド」KRT「兼高かおる世界の旅」KRT「カミさんと私」(伊志井寛、京塚昌子)KRT「豹の眼」(大瀬康一)KRT「まぼろし探偵」(加藤弘)KRT「ポパイ」NTV「矢車剣之助」



                  




(スポーツ)長島茂雄、天覧試合でサヨナラホームラン。

(流行語)マイトガイ。カミナリ族。マダムキラーボイス。ミッチー。トランジスタ・グラマー。

(社会)01/01カストロのキューバ革命。04/05初の国産カラーテレビ映画「快傑ハリマオ」(NTV)放送開始。04/10皇太子御結婚。パレードをテレビ中継。08/21ハワイがアメリカ合衆国の50番目の州となる。09/26伊勢湾台風

(物故)鳩山一郎、永井荷風、芦田均、ビリー・ホリデイ

(物価)お米5キロ101円。ビール 633ml 125円。サイダー 340cc 35円。かけうどん一杯27円。トンボ鉛筆一本10円。いこい 一箱20本 50円。自転車 一台18,000円。入浴料 15円。理髪料 150円。はがき5円。即席チキンラーメン 35円。公務員初任給10200円。一般労働者平均給与17300円。少年サンデー30円。


(その他)黒柳徹子、NHK「夜の仲間」でドラマデビュー。高倉健江利チエミと結婚。星由里子、東宝「すずかけの散歩道」でデビュー。本郷功次郎、大映「講道館に陽は上る」でデビュー。

「少年サンデー」「少年マガジン」「週刊現代」「週刊文春」創刊。白土三平「忍者武芸帳」(三洋社)緑のおばさん。バンドエイド。「カステラ一番」(文明堂)「ヤン坊マー坊の歌」(ヤンマーディーゼル)「ひと粒で2度おいしい」(江崎グリコ)。生きていたタロー、ジロー。児島明子がミス・ユニバースに選ばれる。スポーツマン金太郎(少年サンデー)



直線上に配置



                                       (七色仮面の歌)






七色仮面


不気味な笛の音が鳴り響いた夜、一人の美術商が殺害された。

早速事件解決に乗りだした私立探偵・蘭光太郎は、捜査の結果、
コブラ仮面と名乗る怪人の犯行であることを突き止める。


だが真相に辿りつく寸前、光太郎はコブラ仮面の罠にかかり命を落としてしまう。

遂に悪の勝利かと思われたそのとき、どこからともなく、黄金のマスクをつけた
正体不明の人物・七色仮面が現れるのだった!


七色仮面は、川内康範が月光仮面に続いて生み出した二人目のヒーロー。
大映映画「七つの顔をもつ男」多羅尾伴内をモチーフにしたといわれている。




悪のあるところ、高笑いとともに必ず現れる正義の使者・七色仮面は、
神出鬼没で変装の名人である私立探偵・蘭光太郎が変身した姿である。

その出自は一切不明、二丁拳銃を駆使し、至近距離から撃たれても何ら影響を受けない
不死身の身体に加え、瞬間移動能力や変身能力を持っている。


初代の蘭光太郎は波島進が演じていて、変装に主体をおいたどっしりとした冷静な七色仮面だった。

しかし、千葉真一が2代目の主役として登場するなり、軽快なアクションのストーリー展開となり、
またたく間に子供たちの人気を得るようになった。

また、お祭りや縁日で売られているプラスチック製のお面の中でも、
金色に輝く七色仮面は、月光仮面をおしのけて人気ナンバーワンだったという。


主題歌「七色仮面の歌」は、月光仮面と同じく川内康範、小川寛興コンビが手掛けている。

だが、歌の中に「でんでんとろりこ やっつけろ」という意味不明の奇妙な歌詞が出てくる。

歌詞の前後のつながりから「こっぴどく、こてんぱん」などの意味を表す擬音語ではなかろうか、などと様々な
解釈がされているが、今まで誰も作詞した川内康範氏に、直接尋ねてみなかったことのほうがもっと奇妙である。













カミさんと私


私(伊志井寛)とカミさん(京塚昌子)との間に出来た四人の子供も

次々と結婚。今では七人の孫がいる。


そして、正月四日には末っ子の健二(山本学)も結婚。

これでまた、カミさんと私、水いらずの差し向かいに戻ったわけだ。



1956年(昭和31年)に始まった東芝日曜劇場の初のシリーズものとなった作品。





老夫婦の愛を温かく描いたホームドラマで、伊志井寛と京塚昌子が、淡々として

それでいてほのぼのとした老夫婦を好演。


京塚昌子は当時28歳。この年齢で51歳の白髪夫人を演じている。

京塚を抜擢したのは、番組プロデューサーの石井ふく子。


カミさんのきまり文句に「冗談じゃありませんよ、バカバカしい」が出て来るが、

このセリフが、イヤミがなく、愛嬌よく言える女優、ということで抜擢したという。


この石井・京塚コンビは、後に「肝っ玉かあさん 1968年」で更に一時代を築くことになる。


好評により、1972年(昭和47年)まで、13年間に渡る息の長いシリーズとなったが、

老作家を演じた伊志井寛が亡くなって、番組は打ち切りとなった。














白黒テレビ


テレビ放送は、1953年(昭和28年)に始まったが、当時テレビはぜいたく品だった。

そのため庶民は、街頭テレビや電気店のテレビを見ていた。

テレビが普及しはじめたのは、1959年(昭和34年)皇太子ご成婚のときからだ。


だが当時のテレビは、電源を入れてもすぐには映らなかった。

ウォームアップというか、昔のテレビは準備体操が必要だったのだ。

だからプロレス中継がはじまる10分前には、スイッチを入れておかねばならなかった。



また映像の写りが悪いときには、叩くと直る場合が多かった。

これは叩くと、内部の真空管の接触が正常な状態にもどる場合があるからで

叩けば故障が直るわけではなかった。



漫画「ドラえもん」で、テレビが壊れて、のび太とドラえもんがテレビを叩いたが

直らないので、のび太のママにカラーテレビと取り替えようと提案した。


すると、ママは叩き方が悪いと言いながら、テレビを約60度の角度から

「バン」と叩くと、「ピタッ」と直って、映像が映り出した。

これは、のび太のママのテレビ不調に対する特技であった。












     



ローハイド


1870年代、南北戦争直後のアメリカ。

東部で食肉価格が高騰し、南部の牛を東部で売ると10倍以上の値が付いた。


そこで牧牛業者に雇われたカウボーイたちは、南部から東部へと向けて

1300キロの道程を3000頭もの牛を連れて旅に出る。


その道中には、夜盗や牛泥棒、雷雨や砂嵐の自然災害、さらには仲間同士のトラブル、

次々と過酷な試練が待ち受けていた。




ローハイド(牛のなめし皮)は、牛を追いながら旅をする男たちの試練と苦難の物語。


荒くれどもを率いる頼れる隊長ギル・フェイバー(フレミング)も魅力的だが、

若さゆえに時に暴走する、イーストウッド演じる副隊長ロディ・イェーツの人気が急上昇。

当時まだ無名の新人だったイーストウッドは、これを機に、一躍スター俳優に。


野営シーンも魅力的で、西部の男たちのワイルドな暮らしに、日本の視聴者は憧れた。

老コックのつくる毎日同じメニュー、豆の煮込みに焼いたベーコン、苦そうなコーヒー、

全てが本当においしそうだった。











     



拳銃無宿


時は1870年代、西部を旅する一匹狼の賞金稼ぎ、ジョッシュ(マックイーン)は、

賞金首をなるべく殺さず、生け捕りにするのがモットーだ。


だが彼は、お尋ね者のマーティン兄弟のせいで保安官殺しの容疑をかけられてしまう。

何とかその場を切り抜けたジョッシュは、マーティン兄弟を追うが…。




マックイーン演じる賞金稼ぎのガンマンが、華麗なガンさばきを見せる正統派の西部劇。


しかし、金のために人殺しをするガンマンに、周囲の目はどうしても冷たくなる。

その中で孤独と哀愁を漂わせる主人公ジョッシュに、当時の女性ファンはしびれたという。


一方、男性視聴者は、主人公の持つ銃身の短い特殊なランダル銃に引きつけられた。

また子供たちの間では、そのランダル銃のおもちゃが人気を集めた。

番組は、老若男女を問わず、人気を呼ぶことになった。


この番組の成功を足掛かりに、当時まだ無名の新人だった若きマックイーンは、

一躍スター街道を歩き始めることになった。











     



ポパイ


主人公ポパイは、たくましいあごにパイプをくわえ、両腕にはイカリの入れ墨をした怪力の船乗り。

アニメ登場の第一声は「あんた船乗りかい?」と聞かれて「オレがカウボーイに見えるかよ!」


主題歌は、中島そのみの歌う「♪ ポパイ・ザ・セイラーマン」

登場人物は、ほかに恋人のオリーブ、悪役のブルート、ハンバーガー好きのウィンピーなどなど。




ポパイは、ホウレンソウを食べてパワーアップするが、これは子供に野菜を食べさせるという大人の思惑があった。


当時のアメリカでは、ホウレンソウ嫌いの子供が多く、何とか子供に食べさせたいという親たちの要望に応えて、

主人公ポパイが、ピンチに際してホウレンソウを食べれば、腕力100倍という設定が生まれたという。


効果は抜群で、アニメの大ヒットとともに、アメリカの家庭におけるホウレンソウの消費量が大幅にアップした。

子供たちも、ホウレンソウを食べると、ポパイみたいに強くなれると信じて疑わなかった。













     



少年ジェット


少年ジェットこと北村健(中島裕史)は、船越探偵の助手として活躍する少年探偵である。

彼は、名犬シェーンを引きつれ、愛車ラビット号で、難事件の現場に現れ、強敵に立ち向かう。


「ウー、ヤー、タァー!」と叫べば、大地は揺れ動き、大木も裂けてしまう

「ミラクルボイス」とショック銃「スーパーコルト」が、少年ジェットの武器だ。


あるとき、ルーブル美術館から、時価一億円のルイ14世のダイヤが盗まれた。

怪盗ブラックデビル(高田宗彦)の犯行だった。



熾烈な争奪戦のあげく、ついにダイヤの行方が明らかになった。

ブラックデビルとにらみあう少年ジェット、そして荒川警部。


デビルは不敵な挑戦を投げつける。

「この屋敷に隠されたダイヤ。もし、キミが先に発見したら、おとなしく手錠を受けましょう。
でももし、わたしが先に見つけたら…」


制限時間は10分。透視レンズでくまなく探すデビル。

やがて、ジェットの愛犬シェーンが宝石箱を掘り当て、三人の前に差し出した。


だが、すばやく宝石箱を奪い、逃げ去ろうとするデビル。

そのとき、ジェットのミラクルボイスが炸裂した。「ウー、ヤー、タァー!」












デン助劇場


かつて大衆芸能のメッカだった浅草六区の松竹演芸場からテレビ中継され、

人情と笑いを全国のお茶の間に届け、人々に親しまれていたのが、

デン助劇団による「デン助劇場」だった。


座長は、デン助こと大宮敏光。脚本、演出、主演とひとり三役をこなしていた。

そんなデン助が演じるのは、ハゲ頭にヒゲ、腹巻きにステテコ姿がトレードマークの

絵に描いたような下町のとっつぁん。






職業は浅草のふすま職人で、短気で早とちりだが、涙もろく人情に厚い役どころ。

このデン助の唯一の弱点が、スミちゃんという健気で、デキのいい自分の娘だ。



デン助が「オレにデンとまかせとけ!」の決めセリフとともに繰り広げる笑いあり涙ありの

下町人情喜劇が庶民の共感を呼び、番組は、1972年まで13年間に渡るロングランとなった。














番頭はんと丁稚どん


崑太(大村崑)は、少々頭は足りないが親思い、兄弟思いの心根のやさしい少年だ。


田舎の家を出て、大阪船場の薬問屋へ丁稚奉公に行くことになった。

崑太は早速、教育担当の番頭・雁七(芦屋雁之助)に預けられ、名も崑松と改めた。


だが、丁稚といえば、商家の下っ端の小僧。

先輩の番頭から頭ごなしに呼び付けられ、こき使われる毎日が続くのであった。



船場の薬問屋を舞台に、三人の丁稚が繰り広げる涙と笑いの関西喜劇。


三人の丁稚たちが、番頭(芦屋雁之助)にいびられながらも、それをギャグで笑い飛ばす。

そのドタバタと、そこに流れる大阪らしい反骨精神が共感を呼んだ。





本作は、同じ時間帯の人気番組「私の秘密」(NHK)を凌駕するヒット番組となった。

大村崑は、この番組で時の人気者になり、同年、鞍馬天狗のパロディ番組「とんま天狗」
の主役の座をつかんだ。


また、丁稚をいじめる番頭を演じた芦屋雁之助は、上方を代表する喜劇俳優としてその後も活躍し、
1984年には、大ヒット曲「娘よ」で紅白歌合戦にも出場している。










     



とんま天狗


とぼけた風貌に丸眼鏡、ご存じとんま天狗(大村崑)は、鞍馬の山奥で修行を積んだ剣の達人。

山を下りた天狗は、勤皇の志士・桂小五郎を助けたことから、敵である珍選組と対峙することに。


珍選組の近藤勇三(芦屋小雁)や土方大三(芦屋雁之助)は、部下を引き連れ、とんま天狗に挑む。

だが、剣の腕はめっぽう強い天狗の敵ではなかった。毎回バッサリと斬られてしまうのであった。



ドジでお人よしのとんま天狗が、珍選組を相手に様々なお惚け珍騒動を繰り広げるパロディ時代劇。


その名前のとおり「とんま」で、驚くとメガネがズリ落ちるのが特徴。

だが立ち回りのときは颯爽となる、といったわかりやすさが子どもたちに大ウケだった。


また、近藤勇三を演じた芦屋小雁の圧倒的なアホぶりと、毎回斬り捨てられて「斬られたヨー」
というギャグの怪演はいまでも真似されるほどである。


原作者で演出もつとめた花登筺自身に「今から考えると冷や汗の出るようなつまらない番組」
と言わせるほどの傑作アチャラカ番組だった。


大塚製薬の一社提供だったため、主演の大村崑は「オロナイン軟膏」などのCMに出演。

1965年(昭和40年)から「オロナミンC」のCMがスタート。

昭和40年代には街中に同商品を手にする看板が設置された。











     


スター千一夜


各界のスターを迎えてのインタビュー番組。通称は「スタ千」。

フジテレビが開局した1959年3月1日からスタートし、1981年(昭和56年)9月25日までの
約22年半に渡って、スターの歴史を綴った。放送回数は6,417回。


初回のゲストは、長門裕之、津川雅彦兄弟。番組発足時は、六社協定によって映画スターの
テレビ出演が規制されていたため、歌手やスポーツ選手の出演が多かった。


翌年1960年2月、長谷川一夫が初出演、3月に山本富士子と、大スターの出演が続いて
高い視聴率を記録するようになった。最多出演は、吉永小百合の90回。

司会は、初代が作曲家の高橋忠雄、その後、土居まさる、関口宏、石坂浩二と続いた。












兼高かおる世界の旅


日曜日の朝10時30分、ジェット機を背景に優雅なテーマ曲が流れる。

憧れの世界の旅へと案内してくれるのは、兼高かおるの上品な日本語だった。


番組が始まった昭和34年は、まだ日本人の海外旅行が自由化される前。

庶民にとって外国は夢のまた夢だった。

番組は、世界各地の風俗・文化を紹介する本格的海外取材番組としてスタート。





兼高かおるが訪れた国の数は150カ国あまり、地球を180周した計算になる。

秘境の地を訪れ、エスキモーや砂漠の民と語り合い、また気球でのアルプス越え
にも挑戦した。


南アフリカで勇ましく黒サイに股がってみたかと思えば、モルディブで
紺碧の海にダイビングしてみたり。


画家のサルバドール・ダリやケネディ大統領など各国の著名人にも面会した。
日本をPRするために着物姿で取材することも多かったという。


お茶の間に世界の広さと楽しさを届け、日曜の午前中はこの番組を観なければ
一日が始まらないとまで言われるほど、多くの視聴者に親しまれた。











      アンネの日記(The Diary of Anne Frank)1959年(米)

アンネは、ユダヤ人迫害を逃れ、一家とともにオランダに移住。しばらくは安穏な日々が続いたが、
1939年、オランダにドイツ軍が侵攻。

隠れ家もナチスの秘密警察に発見され、アンネはアウシュヴィッツ収容所に送られてしまう。
約2年間続いた家での生活は終わりを告げてしまった。

アンネ・フランクは、ナチスの迫害の犠牲となって、収容所で死んでいった15歳のユダヤ人少女である。
彼女の日記は、アウシュヴィッツから奇蹟的に生還した父親オットーによって発見され、出版された。
世界的ベストセラーとなったこの日記は、戦争犯罪に対する最も優れた起訴状と言われている。

(監督)ジョージ・スティーブンス(George Stevens)
(出演)ミリー・パーキンス(Millie Perkins)ジョセフ・シルドクラウト(Joseph Schildkraut)