6月6日   タイムカプセル(4)昭和33年(1958年)  タイム・カプセル
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この年、東京有楽町駅の前にあった日本劇場で、第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催。

アメリカで生まれたロックンロールが日本に上陸。新時代のヒーローに躍り出たのは平尾昌章、山下敬二郎、
ミッキー・カーチスのロカビリー3人男。

戦争が終わって13年、「もはや戦争ではない」と叫ばれてから2年後、娯楽に飢えていた当時の若者達が
飛びついたのがロカビリー。

テレビ放映にもなり、ステージの過熱ぶりにPTAから抗議殺到、ロカビリーは社会的現象となった。



(映画)第31回アカデミー「恋の手ほどき」

「武器よさらば」「鉄道員」「老人と海」「南太平洋」「死刑台のエレベーター」「制服の処女

松竹「彼岸花」(佐分利信田中絹代有馬稲子久我美子佐田啓二笠智衆山本富士子)松竹「楢山節考」(田中絹代)松竹「張込み」(大木実、宮口精二、高峰秀子田村高広)東宝「駅前旅館」(森繁久彌淡島千景フランキー堺淡路恵子)東宝「女であること」(森雅之原節子久我美子香川京子

東宝「裸の大将」(小林桂樹、三益愛子)東宝「杏っ子」(香川京子山村聡、木村功、夏川静江小林桂樹加東大介)東宝「暖簾」(森繁久彌、頭師孝雄、山田五十鈴、小原新二、頭師正明)大映「炎上」(市川雷蔵)大映「白鷺」(山本富士子、川崎敬三、佐野周二)大映「忠臣蔵」(長谷川一夫、市川雷蔵、淡島千景、山本富士子、滝沢修、川口浩鶴田浩二勝新太郎木暮実千代京マチ子若尾文子志村喬

東映「ひばり捕物帖 かんざし小判」(美空ひばり東千代之介、堺駿二)東映「緋ざくら大名」(大川橋蔵大川恵子大河内伝次郎)東映「若君千両傘」(大川橋蔵、花園ひろみ、里見浩太郎、大河内伝次郎)東映「旗本退屈男」(市川右太衛門中村錦之助東千代之介大河内伝次郎大川橋蔵月形龍之介片岡千恵蔵)東映「点と線」(加藤嘉、南広、志村喬山形勲高峰三枝子三島雅夫

東映「隠密七生記」(東千代之介、中村錦之助、美空ひばり、桜町弘子、大河内伝次郎、月形龍之介、長谷川裕見子)東映「一心太助 天下の一大事」(中村錦之助月形龍之介桜町弘子丘さとみ)東映「白蛇伝」(森繁久彌、宮城まり子)日活「陽のあたる坂道」(石原裕次郎北原三枝芦川いづみ轟夕起子)日活「絶唱」(小林旭浅丘ルリ子


(音楽)「ダイアナ」(平尾昌章)「ダイナマイトが150屯」(小林旭)「からたち日記」(島倉千代子)「だから言ったじゃないの」(松山恵子)「おーい中村君」(若原一郎)「無法松の一生」(村田英雄)「
Diana」(Paul Anka)


(テレビ)NHK「バス通り裏」(十朱幸代岩下志麻)NHK「事件記者」(永井智雄、滝田裕介)KRT「月光仮面」(大瀬康一)KRT「私は貝になりたい」(フランキー堺、桜むつ子)KRT「マンモスタワー」(森雅之三島雅夫森繁久彌兼高かおる

KRT「あんみつ姫」(中原美紗緒、太宰久雄)KRT「ローンレンジャー」NTV「パパは何でも知っている」NTV「モーガン警部」NTV「光子の窓」(草笛光子、トニー谷、クレージーキャッツ)NTV「怪人二十面相」(佐伯徹・原田甲子郎)





                                                                   




(スポーツ)長島茂雄(立大)巨人入団、長島デビュー4打席4三振。王貞治が巨人に入団。川上哲治選手が引退。

(流行語)「ご清潔で、ご誠実で、ご信頼申し上げられる方」「神さま仏さま稲尾さま」「低音の魅力」「だから言ったじゃないの」「ハイヨー、シルバー」「キモサベ」「インディアン、噓つかない」


(社会)01/01欧州経済共同体(EEC)発足。02/01エジプト・シリアが合併しアラブ連合共和国成立。04/01売春防止法実施。08/12全日空機伊豆沖で墜落。11/27皇太子(明仁親王)と正田美智子さまの婚約発表。12/01日本初の一万円札発行。12/23東京タワーが完成。

(物価)お米5キロ102円。映画館109円。公務員初任給9200円。一般労働者平均給与16600円。

(その他)佐久間良子、東映「美しき姉妹の物語 悶える早春」でデビュー。十朱幸代(16)「バス通り裏」(NHK)でデビュー。児玉清、東宝「隠し砦の三悪人」でデビュー。ポール・アンカ来日。

フラフープが大流行。紙芝居が低調、貸本屋のマンガが人気。 初のインスタントラーメン「チキンラーメン 35円」(日清食品)発売。無果汁の「粉末ジュース」(渡辺製菓)シームレスストッキング(厚木ナイロン)トリス・バー(寿屋/サントリー)なにはなくとも江戸むらさき(桃屋) 日本初の缶ビール(アサヒ)脱臭剤キムコ(アメリカンドラッグコーポレーション)プラッシー(武田薬品)ファンタ(オレンジ、グレープ)発売(日本コカ・コーラ)「週刊女性」「女性自身」創刊。点と線(松本清張)経営学入門(坂本藤良)百万人の英語(文化放送)切手収集が流行。     



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                                 月光仮面 主題歌 







月光仮面


月下の東京郊外。蔦のからまる煉瓦塀を巡らせた洋館に、折しも奇怪な風体の賊が忍び込んだ。

その家の主人である老紳士と令嬢の命は、まさに風前の灯。

凶弾が放たれようとしたその時、おなじみの主題歌が聞こえて来る。


♪月の光を背に受けて 仮面にかくしたこの心...♪

そして中庭の植え込みにたたずむ、純白の人影。


「そこにいるのは誰だ、何者だ!」

「月よりの使者、正義の味方、月光仮面!」





白いマントを颯爽となびかせ、悪人をやっつける正義の味方・月光仮面は、テレビヒーロー物の先駆けとなった。

この国産ドラマは、広告代理店・宣弘社がアメリカ映画「スーパーマン」の人気にヒントを得て手がけたもの。


だが制作費は、1話につき10万円の超低予算。ちなみに当時の公務員の初任給が10万円程度。

撮影スタジオが確保できず、宣弘社の社長自宅が探偵事務所、車庫が敵のアジトだった。

「週刊新潮」からは「暴力シーンも多く、安かろう悪かろうという低俗ドラマの見本」と酷評されてしまった。


しかし当時は、子供は勿論、大人からお年寄りまで、月光仮面を知らない人はいなかった。

なにせ平均視聴率40%以上、最高視聴率はなんと68%と言うお化け番組。

番組の放送される時間帯になると銭湯から子供の姿が消えてしまうほどだった。


そして子供達の間では当然の事ながら「月光仮面ごっこ」が大流行!

家にある風呂敷や布団のシーツを勝手に持ち出し、マント替わりにして遊び、大目玉を喰らったものである。


月光仮面は社会現象となり、当時無名であった東映の大瀬康一は、この作品で一躍人気スターになった。

以後「豹の眼」(1959年)「隠密剣士」(1962年)とテレビドラマの主役を務めることになるのである。













     



ローン・レンジャー


西部開拓時代のテキサス。町の警備隊員たちは、無法者一味を追跡中に罠にかかり、

隊長以下五人が殺害され、隊長の弟リードだけが一命を取り留める。


インディアンのトントの助けを得て体力を回復したリードは、兄の形見のベストから作った

黒いマスクを身につけ、自らローン・レンジャーと名乗り、法と正義のために立ち上がる。




西部の伝説の英雄ローン・レンジャーが、覆面姿で白馬にまたがり、いずこともなく現れ、

正義のために無法者を懲らしめる。その颯爽とした姿に人気が集まった。


番組の冒頭から、ロッシーニの勇壮な「ウィリアム・テル序曲」が鳴り響き、覆面ヒーローと

頼れる相棒が悪を討つ、その痛快な勧善懲悪ストーリーが、大人気を博した。


ローン・レンジャーが、愛馬シルバーを発信させる掛け声「ハイヨー、シルバー!」や、

トントが主人公を呼ぶ言葉の「キモサベ」(信頼できるヤツ)は、流行語になった。













フラフープ (Hula Hoop)


体を振って落ちないように回して遊ぶ、直径1mほどのプラスチック製の輪。

アメリカで大流行したことを受け、10月に各デパートで一斉に販売された。

店には行列ができ、日本中で爆発的に売れて一大ブームを起こした。

価格は200円から270円。1ヶ月で80万本が売れた。




フラフープは美容と健康によいと宣伝されたこともあり、子供ばかりでなく
大人もこの遊びに参加して、競技大会も開催された。


だが11月、フラフープが原因とされる腸捻転で子供が重態になる事件が起き、
ブームは急速に沈静化。各メーカーは在庫を抱えて吐息をつくことになった。









蚊帳 (かや)


当時は、蚊帳を吊るのは夏の風物詩だった。

天井から吊るし、害虫の侵入を防ぐための蚊帳は、麻や木綿製で1mm程度の
網目となっているので、蚊や虫は通さないが、風通しはよかった。


蚊帳の中に入るのにはこつがあって、まず周囲の蚊などをうちわで追い払い、
すそを少しだけめくり上げて中へ入る。



子ども心に、ちょっとした秘密基地にもぐりこむ気持ちがして、ワクワクしたものだ。

また、蚊帳の中で子ども同士いろいろな話をしたのも懐かしい思い出になっている。


昭和40年頃から下水道の普及により蚊も減少、またアルミサッシに網戸が使われる
ようになり、一般の家庭では次第に使われなくなった。



しかし、じつは蚊帳は現在でも全世界で使用されている。

蚊が媒介するマラリア・デング熱・黄熱病などに対して蚊帳は、最も安価で効果的な
予防・防護策として注目されているのだ。














   



私は貝になりたい


テレビドラマ史に残る反戦ドラマの名作。

戦後、C級戦犯で処刑された庶民の叫びを通して、戦争の犯罪性を鋭く告発した。


四国・高松で理髪店を営む清水豊松(フランキー堺)は、戦時中、上官の命令で
捕虜のアメリカ兵を刺殺する。

復員後、それが問われ、C級戦犯として逮捕される。


豊松は軍事法廷で「日本の軍隊では、上官の命令に逆らったら銃殺だ」
と抗弁するが理解を得られなかった。

愛する妻に「もう人間なんていやだ。生まれ変わるのなら、私は貝になりたい」
と遺書を残して、処刑台にのぼる。


戦後13年、この悲痛な叫びが人々の胸を打ち、不朽の名作として語り継がれた。

喜劇俳優・フランキー堺のシリアスな演技も高く評価された。
第13回文部省芸術祭芸術祭賞受賞作品。












     



事件記者


ここは警視庁の一角にある「桜田記者クラブ」即ち特ダネを追う事件記者達の根城である。

日曜日の記者クラブは事件もなく、手持ちぶさたで皆暇をもてあましていた。

そこに殺人事件発生の連絡が入る。


その頃、記者の伊那(滝田裕介)は、キャップの相沢(永井智雄)の家を訪れていた。

彼は、婚約者を連れて、仲人をつとめる相沢と結婚式の相談をしていたのだ。

急遽、事件の知らせを聴いた伊那は、直ちに相沢とともに現場に向かう。



24時間体制で事件を追う警視庁詰め記者たちの活躍を描いたテレビ草創期の人気ドラマ。

脚本は、もと新聞記者だった島田一男が担当し、自らの経験を基にリアリティ溢れるものとなった。


事件をめぐる緊張感とともに、記者クラブ内の和気アイアイとした人間関係が、歯切れのいい
台詞と演出でテンポよく描かれ、息の長い人気ドラマとなった。

ホームドラマでお馴染みの卓袱台の前を開けたショットは、このドラマに始まったとされている。


日テレ「ダイヤル110番」とともに、初期の事件・捜査ものを代表するドラマである。












     



マンモスタワー


建設中の東京タワーの下、大手の映画会社「大宝」では、重役会議が開かれていた。


会議では、映画のライバルとして登場した「テレビ」の話題で持ち切りだった。

「映画」の歴史と伝統の前に「テレビ」は恐れるに足らず、が大方の意見であった。


だが、本部長の黒木(森雅之)だけは、旧態依然とした映画の制作方針に疑問を感じていた。

黒木は、森繁久彌の娘・嘉子を、自社専属の映画スターとして売り出すことを提案する。


森繁は、映画の活動弁士として活躍した人物なので、彼女も注目されるだろうと考えたのだ。

重役たちも、テレビの脅威を、薄々感付き始めていたため、黒木の提案に賛成した。


だが、その嘉子はまもなく、映画女優に嫌気がさして、テレビ局に移籍してしまうのだった。




映画に愛情を持つ主人公が、自分の映画会社の体質を変えようと奮闘するドラマ。


映画界とテレビ局の激しい闘いを描いた作品で、放映当時の1958年(昭和33年)は、
日本の映画入場者数は、11億2700万人に達し、そのピークを迎えていた。

安定した興行収益を計上し続けていた映画会社全体は、まだまだ余裕があった。


だが同年、TBSドラマ「月光仮面」が大ヒット。
平均視聴率40%以上、最高視聴率は、なんと68%を記録。

子供は勿論、大人からお年寄りまで、月光仮面を知らない人はいなかった。


テレビを「電気紙芝居」などと揶揄していた映画関係者にも、テレビドラマに
対する評価を一変させるほどの国民的番組となった。


本作が放映された当時、脚本家は誇大妄想扱いされたようだが、その後、テレビの
大普及により、映画産業は斜陽化の道をたどることになる。


1970年(昭和45年)以降、業績悪化により映画会社は次々に倒産。これにより、
映画産業の凋落は決定的となった。

その意味で本作は、テレビ時代の到来をあらかじめ予見していたドラマといえる。













あんみつ姫


むかしむかし、甘辛城では殿様・あわのだんごの守をはじめ、領民もみな善人で平和だった。


だが、殿様の発明狂と、一人娘あんみつ姫のお転婆が、いつも奥方・しぶ茶の方を悩ませていた。

姫は、教育係のカステラ夫人をまいて、茶坊主のまんじゅうと城下へ抜け出すのが好きであった。


一方、殿様が発明した品物が四倍に増える「バイバイ薬」が完成すると、隣国の黒雲城の城主、

黒雲勘左エ門は、それを何とか盗み出そうと画策し始めるのだった…。





原作は、1949年(昭和24年)光文社の月刊誌「少女」に連載された倉金章介の同名漫画。


あんみつ姫は、料理裁縫まるでダメ、その上勉強大嫌い、ムダに元気がありすぎる、

可愛い顔だけが取り柄の甘辛城のお姫様。


父親は甘辛城の殿様・あわのだんごの守、母親はその奥方・しぶ茶の方。

ちょんまげの時代なのに、姫は両親をパパ、ママと呼んでいる。


物語は、そんなおちゃっぴいな姫が、城の内外で騒動を巻き起こす時代劇コメディ。


ヒロイン・あんみつ姫を演じたのが、当時、大人気のシャンソン歌手・中原美沙緒。

愛らしい容姿が幅広い層に受けて、たちまち売れっ子アイドルに。


番組は好評を博して二年間、全100回のロングランとなった。あんみつ姫は彼女の代名詞

となり、そのキャラクターは、以後、小泉今日子、井上真央へと引き継がれた。















バス通り裏


下町商店街のバス通り裏に住む、高校教師の赤沢一家と美容院経営の川田一家を舞台に

近隣・家族の日常生活を描いた帯ドラマ(平日15分の放映)



「小さな庭のまん中で」という主題歌そのままに、身近な日常を明るく健康的に描いて

茶の間に根強い人気となり、連続ホームドラマ初のヒット番組となった。



当時、高校生だった16歳の十朱幸代、中学生だった15歳の岩下志麻のデビュー作でもあり、

番組とともに、二人はスターに育って行った。



十朱幸代(下段左から二番目)岩下志麻(上段左から二番目)








               バス通り裏(中原美沙緒、ボニージャックス)










     
     
     




パパは何でも知っている


アンダーソン家は、スプリングフィールドの町に住む中流家庭。


パパが朝、会社に出かけようとすると、ママがカバンを手渡しキスをしようとする。

それを三人の子どもたちが階段の手すりから笑いながら見ている。


一家のパパは保険会社の営業マン、優しくスタイルがいいママは専業主婦。

いつもデートに悩んでいる長女、わんぱくな弟、そしておませな妹。


物語は、そんなアメリカの典型的な家族の日常的事件がユーモアたっぷりに描かれる。




夕方になると、パパは自動車で帰宅し、それをエプロン姿のママが迎える。

広いダイニング・キッチンで食事し、ソファのあるリビングで手製のクッキーをつまみながら、

一家揃って会話するという生活が映し出される。


一方、当時の日本は、サラリーマン家庭が増えつつあったとはいえ、多くの家庭では、

狭い家に畳の部屋。ちゃぶ台でごはんを食べていた。

だからアメリカのような豊かな生活は憧れのまとであった。


実は、DK(ダイニング・キッチン)という言葉は、そうしたアメリカのドラマに由来するという。

多くの日本人が憧れる先進的なライフスタイルは、電化設備にかこまれたダイニング・キッチン

がある生活だった。

こうして、60年代から急速に普及した公団住宅には、ダイニング・キッチンが必須となったのである。












   
   


モーガン警部


アリゾナ州警察のモーガン警部のもとへ、地元の自動車修理工が銃で殺害された

との通報が入った。

殺人の数時間前、犯人と被害者は、喧嘩をしているところを目撃されている。


さらに奇妙なことに、その犯人と思われる男は、犯行の前にドラックストアで

髪を染めるためのヘアカラーを買い求めていたことが分かった


目撃者の情報によると犯人は、殺人容疑で指名手配中のディロンと判明した。

モーガン警部は、ディロンは変装して警察の目を逃れようとしているのではと考えた。





開拓時代の面影を残すアリゾナ州を舞台に、保安官のモーガン警部が、様々な事件を

追って町の治安を守る、ウェスタン調の刑事ドラマ。


アメリカのデジルプロ制作の連続テレビドラマで、1956年から1958年まで放映された。

主演のジョン・ブロムフィールドは、このテレビトラマで一躍スターの座に。


日本では、アメリカでの放映終了後の1958年9月から放映され人気番組となった。

吹替えの若山弦蔵の渋い声の演技も、人気の一因だった。


















点と線 (東映)


博多郊外の海岸で男女の心中遺体が発見される。


男は汚職の摘発が進む建設省の課長補佐、佐山。

女は料亭の女中、お時であった。


現場の状況から、単純な「情死」と思われたが、捜査を進めるうちに

所轄の刑事、鳥飼(加藤嘉)と三原(南広)は、ある重要な証言を得る。






お時の同僚ふたりが、商事会社社長の安田(山形勲)を東京駅で見送ったとき、

13番線ホームから線路を隔てた15番線を歩く佐山とお時を見かけたというのだ。


13番線から15番線が見渡せるのは一日のうちたった4分。

そこに作為を感じた刑事は、やがて安田を、二人を殺害した容疑者と特定。

が、彼には、事件当時は北海道にいたという崩せぬアリバイが…。




1957年(昭和32年)旅行情報誌「旅」に連載された松本清張の同名推理小説のドラマ化。

原作は、福岡・東京・北海道といった物語の舞台を、時刻表を駆使したトリックで結び、

旅情をかきたてる寝台特急を登場させるなど、読者層を意識した作品に仕上がっている。



ドラマのほうは、原作が光文社から出版された直後に映画化されたもの。

物語の舞台となる福岡の香椎駅や、東京駅、青函連絡船、札幌駅などは当時そのものであり、

事件当時の風俗や出来事を、そのままの時代背景で描き上げた貴重な映像作品となっている。



見所は、情死とみせかけた犯人の「アリバイ崩し」だが、謎解きのきっかけは、鉄道路線の

ことばかりに頭が行っていた刑事が、ふと飛行機による移動手段があることに気づく。


当時はまだ、飛行機が一般庶民には高値の花であった時代、新幹線もなく、列島の移動は

特急列車が主であった。本作はそうした時代の産物とも言える。



俳優陣もなかなか豪華で、定年間近の老刑事・鳥飼を演じた加藤嘉は、地味ながら眼光鋭く

味わい深い演技を披露している。

また犯人役ではあったが、商事会社社長・安田を演じた山形勲の重厚な佇まいから溢れ出る

ふてぶてしい存在感が印象に残る。













      制服の処女(Maedchen in Uniform)1931年(独)

16歳のマヌエラは、女学校の寄宿舎に入れられ、鉄格子の中のような生活を送っていた。
彼女の気持ちを和ませてくれるのは、女教師ベルンブルグ(ヴィーク)だけだった。

彼女はそんな先生に惹かれ「先生を愛してます」と宣言してしまう。校長から教師と
会うことを禁じられるが、同級生たちは彼女の味方となる。

1933年(昭和8年)日本公開。キネマ旬報ベストテン第一位に輝いた作品。公開当時の東京では、
映画館の周りは、この映画を見ようと十重二十重の人の波という空前の大ヒットになった。

一方、現地のドイツでは、1933年ナチス政権の成立により、本作は上映禁止となった。
理由は「ドイツ民族の尊厳を汚す退廃的な内容の映画である」というものだった。

(監督)レオンティーネ・サガン(Leontine Sagan)
(出演)ドロテア・ヴィーク(Dorothea Wieck)ヘルタ・ティーレ(Hertha Thiele)