タイムカプセル 戦後編 (9) 昭和28年 (1953年)    タイム・カプセル

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この年、NHK東京テレビジョン開局。午後2時、東京・内幸町の東京放送会館から「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」

の第一声とともに映像が流れ、開局祝賀式、舞台中継、ニュース、映画などが放映された(2.1)

当日の受信契約者は866人で月額受信料は200円。受像機1台が20~30万円で一般家庭では手が出ず、

高級喫茶店やレストランか、街頭テレビを見るしかなかった。 


(映画)第26回アカデミー賞「地上(ここ)より永遠に」(主演 バート・ランカスター

不思議の国のアリス(ディズニー) 終着駅、シェーン、静かなる男紳士は金髪がお好き禁じられた遊び

松竹「君の名は」(岸恵子佐田啓二月丘夢路、川喜多雄二、淡島千景野添ひとみ淡路恵子笠智衆市川春代)松竹「東京物語」(笠智衆、原節子杉村春子)松竹「雲ながるる果てに」(鶴田浩二、木村功、岡田英次山田五十鈴、山岡久乃)松竹「にごりえ」(淡島千景、久我美子)東映「ひめゆりの塔」(津島恵子香川京子岡田英次藤田進)東映「鞍馬天狗 疾風雲母坂」(嵐寛寿郎、喜多川千鶴、宮城千賀子)

大映「十代の性典」(若尾文子南田洋子)大映「祇園囃子」(木暮実千代、若尾文子)大映「雨月物語」(京マチ子水戸光子田中絹代森雅之)大映「あにいもうと」(京マチ子森雅之久我美子)大映「地獄門」(長谷川一夫、京マチ子)大映「千羽鶴」(木暮実千代、乙羽信子、杉村春子)

東宝「」(上原謙高峰三枝子高杉早苗新珠三千代三国連太郎 東宝「都会の横顔」(池部良有馬稲子木暮実千代森繁久彌)東宝「赤線基地」(三国連太郎、根岸明美、小林桂樹東宝「ひまわり娘」(三船敏郎有馬稲子、杉村春子)新東宝「煙突の見える場所」(上原謙田中絹代高峰秀子関千恵子)1953年(昭和28年)現代ぷろ「蟹工船」(山村聡森雅之、浜村純)


(音楽)「想い出のワルツ」雪村いづみ 「君の名は」織井茂子「街のサンドイッチマン」鶴田浩二「愛の讃歌」越路吹雪「
Secret Love」Eddie Fisher


(テレビ)NTVが最初の民間テレビ放送として開局(8.28)CM第1号「セイコー舎の時計が正午をお知らせいたします」(精工舎)NHK「大相撲5月場所」(蔵前国技館)NHK「高校野球第35回大会」(阪神甲子園球場)

NHK「第4回NHK紅白歌合戦」(日本劇場)NHK「テレビ時代劇 半七捕物帳」(笈川武夫、若宮忠三郎、堀越節子)NHK「幸福への起伏」(汐見洋、村瀬幸子、河村健二、岩崎加根子)NHK「のど自慢素人演芸会」(宮田輝)NHK「ジェスチャー」(柳家金語楼、水の江瀧子)NTV「プロ野球中継 巨人対阪神」(後楽園球場)


(ラジオ)NHKクイズ「私は誰でしょう」NHK「新諸国物語 笛吹童子」1953年(昭和28年)1月~12月(ラジオドラマ)「第4回NHK紅白歌合戦」(司会 宮田輝、本田寿賀)




                                                                         




(スポーツ)力道山が中心となり日本プロレスリング協会結成 (7.30)

(流行語)「バカヤロー解散」「八頭身」「真知子巻き」「トニングリッシュ」(トニー谷)

(社会)国産初の14型白黒テレビ発売(早川電機工業、現シャープ、17万5000円)(1.1)10円硬貨発行(1.15)日本初のテレビ局「NHK東京テレビ局」本放送開始(2.1)日本銀行が新百円札(板垣退助)を発行(2.1)

吉田首相が衆院予算委で社会党の吉村英一に「バカヤロー」発言(2.28)吉田内閣不信任案が可決し、衆院解散(3.14)日本初の民放テレビ局「日本テレビ放送網(NTV)」開局(8.28)

(物故)阪東妻三郎、ヨシフ・スターリン
(物価)ラーメン30円、カレーライス80円、映画館80円、週間朝日30円

(その他)芦川いづみ、松竹「東京マダムと大阪夫人」でデビュー。中村玉緒、松竹「景子と雪江」でデビュー。宇津井健、新東宝「思春の泉」でデビュー。フランキー堺、新東宝「名探偵アジャパー氏」でデビュー。雪村いづみ「想い出のワルツ」でデビュー。「八頭身」ミス・ユニバースコンテストで日本代表の伊東絹子が3位入賞(7.16)

三洋電機が日本初の噴流式電気洗濯機を発売(8.1)2万8500円。「街頭テレビブーム」巨人阪神ナイターゲーム中継(8.29)大相撲秋場所中継(9.19)銀座二丁目に「並木座」がオープン(10.7)東京・青山に日本初のスーパーマーケット「紀ノ国屋」がオープン(11月)

「龍角散」(ゴホンといえば龍角散)「リボンの騎士」(少女クラブ) 「オロナイン軟膏」(大塚製薬)「パラソルチョコレート」(不二家) 噴水花火「ドラゴン」(太田煙火製造所)貸本屋が大人気。「ちびくろサンボ」(岩波書店)



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                  Secret Love (Eddie Fisher)1953年度アカデミー歌曲賞受賞曲


                                Once I had a secret love  That lived within the heart of me

All too soon my secret love  Became impatient to be free


So I told a friendly star  The way that dreamers often do

Just how wonderful you are  And why I'm so in love with you


Now I shout it from the highest hills  Even told the golden daffodils

At last my heart's an open door  And my secret love is no secret anymore


 
                                (Lyrics:Paul Francis、Music:Sammy Fain)   












第四回NHK紅白歌合戦


この年からテレビでも放送されるようになった。

放送日はこれまでの正月から一転、大みそかの12月31日(後9:15〜10:45)となり、
会場もNHKホールから日本劇場(日劇)に移転となった。


テレビ初の紅白では、女性陣がテレビ放送を意識して華やかな衣装で登場、
紅白4回目にして初めて紅組が勝利した。






  紅組 (司会 水の江滝子)    白組 (司会 高橋圭三) 
  赤坂小梅(おてもやん)
淡谷のり子(アデュー)
池真理子(星降る渚)

江利チエミ(ガイ・イズ・ア・ガイ)
織井茂子(君の名は)
神楽坂はん子(こんな私ぢゃなかったに)

笠置シヅ子(東京ブギウギ)
菊池章子(星の流れに)
小唄勝太郎(島の娘)

三条町子(東京悲歌)
三味線豊吉(カモン・ナ・マイ・ハウス)
菅原都々子(佐渡ケ島悲歌)

奈良光枝(赤い靴のタンゴ)
服部富子(アリラン・ルムバ)
二葉あき子(別れても)

松島詩子(マロニエの並木路)
渡辺はま子(あゝモンテンルパの夜は更けて)
  伊藤久男(君いとしき人よ)
宇都美清(丘は花ざかり)
笈田敏夫(ばら色の人生)

近江俊郎(別れの磯千鳥)
岡本敦郎(白い花の咲く頃)
小畑実(ロンドンの街角で)

岸井明(洒落男)
鈴木正夫(花笠音頭)
竹山逸郎(流れの船唄)

津村謙(リルを探してくれないか)
鶴田六郎(港の恋唄)
ディック・ミネ(長崎エレジー)

灰田勝彦(東京の屋根の下)
浜口庫之助(国境の南)
林伊佐緒(愛染草)

藤山一郎(岡は花ざかり)
真木不二夫(知らない町に雨がふる)
 




                君いとしき人よ (松竹映画「君の名は」主題歌)


                                    君 名も知らぬ うるわしき人よ    君はしあわせか 
        夜霧の橋に 君待てど    街はただふけて ネオンは悲し 
        ああ 君ありてこそ 楽しきに     
                         (作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、唄:伊藤久男)   
















銀座に世界最大のネオン塔(森永製菓)


この年、東京・銀座の晴海通り沿いに世界最大の地球儀型ネオン塔が完成した。

1953年1月21日に着工、4月11日に完成。直径は12メートル。50トンの鋼材を使用し、

工費は当時の金額で約3000万円を要したという。


直径は12メートル。赤、青、白、黄、緑のネオン管が点滅し、赤道にあたる部分には

「森永ミルクキャラメル」「森永チョコレート」の文字が回転する仕掛けだった。


クリスマスや1959年の皇太子ご成婚、1964年東京オリンピックなどの際には文字が

加えられるなど特別な装飾が施された。

このネオン塔は、長らく銀座のシンボルとして戦後の日本の復興を感じさせる風物

となったが、1983年(昭和58年)老朽化のため撤去された。













数寄屋橋(すきやばし)(有楽町)


銀座はもともと島だったため 銀座に来るためには

橋を渡らなければ入って来れなかった。


そのため 銀座の周りには新橋、京橋、数寄屋橋、

三原橋など様々な橋がつく地名がある。






数寄屋橋は 銀座と有楽町の境の江戸城外堀に架かっていた橋である。


1959年(昭和34年)に 堀は埋め立てられ、数寄屋橋公園として名をとどめている。













東京宝塚劇場 (日比谷)


東京宝塚劇場は、1934年(昭和9年)映画の上映、演劇事業を目的として設立された。

ここでは、宝塚少女歌劇団(1940年(昭和15年)宝塚歌劇団に改称)の公演も行われた。


戦時中、空襲による焼失は免れたが、戦後の1945年「GHQ」に接収されてしまったため、

宝塚歌劇団の公演は、1955年に接収が解除されるまで、日比谷の帝国劇場で行われた。


映画館は、主として東宝作品が公開され、1950年代には「七人の侍」をはじめとする

黒澤明作品や「ゴジラ」などの特撮作品によって黄金時代を築いた。




また1961年(昭和36年)から10年間に渡り、NHK紅白歌合戦の会場としても利用されている。


だが1997年(平成9年)老朽化や再開発計画のため閉場。

跡地には、2000年(平成12年)複合高層ビルの「東京宝塚ビル」が竣工。


2001年(平成13年)1階から6階部分に「東京宝塚劇場」が再オープンした。












ちびくろサンボ


スコットランドのヘレン・バンナーマン(Helen Bannerman)による童話。

ジャングルでトラに襲われた黒人の子供が、木の上に登って逃げるのだが、

木の周りをトラがグルグル回って、バターになってしまう話。


日本では岩波書店の翻訳で出版され、120万部以上のベストセラーとなった。

だが1988年「黒人差別をなくす会」から抗議を受け、絶版となってしまった。












半七捕物帳  (NHK)


神田川で、禁断のむらさき鯉を釣り上げた遊び人の藤吉。

味をしめた藤吉は、今夜もまた川に出かけて行った。


その留守に、怪しい女が訪ねてきて、その鯉を持ち去ってしまった。


家に戻った藤吉は、首をかしげながら女房のお徳に言った。

「ゆうべ釣ったのは雄の鯉で、その雌が取り返しに来たんじゃあるめえか」





――その翌日、川に藤吉の死体があがった。

事件の詮議にあたったのは、神田三河町の岡っ引き・半七であった。



岡本綺堂原作の捕物帳で、テレビドラマ初の時代劇である。


第一話「むらさき鯉」は、御禁制の鯉を密漁していた遊び人・藤吉が何者かに殺害される。

事件の謎を巡って半七親分が捜査に乗り出す。


半七親分に新国劇の笈川武夫が扮し、子分の多吉を俳優協会の外野村晋が演じた。

また、遊び人の藤吉に前進座の若宮忠三郎、その女房役に文学座の堀越節子という配役だった。


いずれも舞台出身の俳優ばかりだが、これは当時の映画会社がこぞって映画俳優の

テレビ出演を禁止していたからである。


さらにこの年、1953年9月、大手映画会社の五社が協定を結び、映画俳優だけでなく、

映画スタジオや映画フィルムの貸し出しも禁止するに至った。


これは急速に勃興するテレビに対抗し、映画会社の既得権を守ろうとしたのだが、

この協定はテレビマンたちの闘志をかえってかきたてることにもなった。











幸福への起伏 (NHK)


直木賞作家、今日出海の脚本で、テレビドラマ初の連続ホームドラマ(全13回)。


戦争で没落した資産家、加能家を舞台に、貧しくても元ブルジョアとしての誇りをもって

生きていこうとする一家の姿を描いたもの。


戦後という言葉がまだ消え去らない時代の視聴者に感銘を与えた作品である。


だが、制作現場は、狭いスタジオ、わずか2台のカメラ、生放送という悪条件であった。





ぶっつけ本番の生放送は、現在では想像出来ないほどの努力を必要とした。


演技者は、限られた放映時間内で、夜になったり、昼になったり、洋服を着たり、

パジャマに着替えたりしなければならない。


洋服からパジャマに変わる場合、当然別のシーンに入っている時にすばやく着替える。

洋服の下にパジャマを着込んでいるから、脱ぐのに20秒もあればいい。


ところが、パジャマから洋服になる時は大変である。

あらかじめ何分で着られるかを測っておいて、その時間は別のシーンを工夫して入れるのだ。


初めてのホームドラマ制作は苦労の連続だったが、そうした辛い体験から、かえって役者や

スタッフのあいだに、和気あいあいとしたチームワークが生まれたという。


本作の経験が自信となり、後に「バス通り裏(1958年)」の大ヒットを生むことになった。













アメリカでプレーボーイ創刊


この年、27歳の実業家・ヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner)が「プレーボーイ」を創刊。


1953年9月に発行された創刊号では、マリリン・モンローが表紙&ヌードを披露。


すぐに売り切れとなり同誌の名前を一躍世に広めた。当時の値段は一冊50セント。

お馴染みのウサギのロゴは2号目からの登場で創刊号にはまだその姿はなかった。


創刊号の発行部数は、7万部だったが、1960年代には、720万部と大幅に伸びた。















      紳士は金髪がお好き(GENTLEMEN PREFER BLONDES)1953年(米)

ショーガールのローレライ(モンロー)は、お金持ちに目がないブロンド美女。
大富豪の御曹司ガスはローレライに夢中で、パリで式を挙げるために豪華客船を予約する。
だが、ガスの父親は結婚に猛反対し、ガスは船に乗れなくなってしまう。

ローレライは代わりに、親友のドロシー(ラッセル)と一緒に乗船し、パリに向かう。
ローレライは、金持ちの乗客を物色し、ドロシーはイケメンを物色するのだった。

モンローの名言「金持ちは美人が好きで、美人も金持ちが好き」
結局愛より金。愛は冷めるがお金は裏切らない。

(監督)ハワード・ホークス(HOWARD HAWKS)
(出演)マリリン・モンロー(MARILYN MONROE)ジェーン・ラッセル(JANE RUSSELL)











      禁じられた遊び(Jeux interdits)1952年(仏)ベネチア国際映画祭グランプリ

1940年、戦時下のフランス。ナチスの機銃掃射で両親を失った五歳の少女ポーレットは、愛犬の遺骸を
抱いたまま農村をさまよい、十一歳の少年ミシェルと出会う。

二人は仔犬の墓をつくり、十字架を立てお祈りをした。ポーレットは、ミシェルにせがんで、墓地から
十字架を盗み出し、毎日のように虫や小さな動物たちの墓をつくる「禁じられた遊び」に熱中する。
だがやがてミシェルとも別れる日がきた。ポーレットは、赤十字に引き取られることになったのだ。

戦争そのものを描かず、戦争の悲惨さ、愚かさを痛烈に批判した作品。ラスト、人ごみの中で女の人を見て、
母の記憶がよみがえったポーレットが「ママン!」と叫んで、辺りを探し廻るシーンは、人々の涙を誘って
止まなかった。いかなる理由があろうとも、戦争による幸せは決してあり得ないのだ。

(監督)ルネ・クレマン(Rene Clement)
(出演)ブリジット・フォッセー(Brigitte Fossey)ジョルジュ・プージュリー(Georges Poujouly)